満たされていないことに満たされていない
いやぁ、人というのは本当に難儀な生き物ですねぇ…
慌ただしいときには平穏を求めるのに、いざその平穏が手に入ると途端につまらなくなる。
しょうがないんでしょうけど、なんかねぇ…
せっかくの連休だったってのに、特にやりたいことも予定もありませんよ。
今日、公務員試験で東京に来てる友だちが泊まりにくるのだけが唯一の予定です。
今働いてる会社はブラック企業とかじゃないので、平日も自分の時間があるし、土日祝はちゃんと休みなんですよ。
そうするとね、自分がやりたいことはあらかたできちゃうわけです。
帰省したいけど、こんな世の中じゃポイズン…
どこか遠くへ出かけるにしても梅雨だしコロナだしポイズン…
ってなると、もう持て余しちゃうんですよ、連休を。
せっかくの連休なのに…
やりたいことはできてるし、満たされているのに、どこかつまらないみたいな。
いやぁ贅沢ですよね。
もっと困ってたら何か動き出すんでしょうけど、そこまででもないみたいな。
それに、在宅勤務になってからは、本当に人と会いませんね…
もう孤独ですよ。
友だちや家族と電話はするけど、生身の人間と本当に会わない。
一人でいることは嫌いじゃないですが、こうも続くときついものがありますね…
まあ一生続くわけじゃないと思うんで、時間が経てば勝手に解決されてくんでしょうけど、それでも今この瞬間は、この休日はなんかつまんないなーと思って過ごさにゃならんわけです。
別にオチも何か言いたいことがあるわけでもないんです。
ただなんだかなーって。
「あれやってみたら?」「これはどう?」
そういう誘いにすぐ乗れればいいんでしょうけど、なんかそういう気分でもないみたいな。
わかります?
救いようがないんですけど、このなんとも言えない感じ。
満たされていることに満たされてしまっている感じ。
満たされていないことに満たされていない感じ。
ぼく自身は思いませんが、こういう感情をこじらせると、「特にこれと言った理由はないけど、なんとなく死にたい」みたいになっちゃうんだろうなーと。
ぼくは別に病んだり悩んだり困ったりしてるわけでもないんですよ。
なんとなくつまんないなーって。
欲求って、満たされていないから湧いてくるわけじゃないですか。
満たされていると欲求は湧いてきません。
焼肉を食べたいという欲求がある人は、一人残らず焼肉を食べていない人です。
焼肉を食べている最中やその直後に焼肉が食べたいとは思わないでしょう。
中には思う人もいるのかもしれませんが、それは自分が食べたい理想の焼肉の量や質に対して、実際の焼肉が不足しているということだと思います。
それはつまり、理想の焼肉を食べていない人になります。
やっぱりこの人も食べていない人です。
満たされていないから欲求が湧いてくる。
逆に満たされていると欲求は湧いてきません。
今のぼくはそんな感じなんだと思います。
やりたいことに対して、すでにできてしまっている。
ものすごい贅沢な悩みだなぁ。
でもこれ、なんとなくわかりませんか?
だからたまに、地位も名誉も捨ててゼロから挑戦します!みたいな人が出てくるのかね。
夢は叶うまでが一番楽しいとか言うしね。
ぼくに生まれてこの方夢がないのも、きっとずっと満たされてきたからなんだと思います。
全くもってハングリーさがない。
お腹いっぱい。
いや、でもね、一度社畜を経験したときには、自分のやりたいことが何一つできなかったので、そのあとは爆発しましたけどね。
反動で日本一周したもん。
人にはある程度満たされなさがある方が、活発に動けるのかもしれませんね。
きっと今漠然と抱えている、満たされていないことに満たされていないという状況が今後も続いていけば、限界を超えたときにそれは何かの欲求として現れるんでしょうね。
今こうやって特にオチも主張もないのに書き始めたのもその一つなんでしょうね。
だからまあ、心配しなくてもそれが内的であれ外的であれ解決すると思います。
うん。そんな感じ。
梅雨だしコロナだし、ぼくと似たような人も中にはいるかもしれませんね。
さっき言ったように、どうせ時間が解決してくれるので、大丈夫だと思います。
特段悩んでるわけでも困ってるわけでもないしね。
まあ、生きていきましょうか。
はい。サビがない曲みたいな文章になっちゃったけど、ぬるっと終わりまーす。
おわりー
読んでいただきありがとうございます! ところで、カナダのブリティッシュコロンビア大学の研究によると、人のためにお金を使うと、自分の幸福度が高まるそうですよ(乞食)