最終的にはうまく回るようにできてる気がする。
絶対まともな方がまともなんだけど、おもしろみに欠けるんだよなぁ。
頭おかしくて愚かな方がシンプルにおもしろいよね。
合理性とか生産性を突き詰めるときっとすんごいつまらないモノができあがるので、ある程度の愚行権というか愚かしさバッファはある方がきっとバランスいいんだろうなと。
やっぱ一定割合でアル中カラカラみたいな人がいた方が、世の中はおもしろいしうまく回るのだと思う。
たぶんだれに言われんでもある程度は愚かなおもしろい人たちっていうのはいて、現存するそういう個体を全て排除したとしても、残った個体から一定割合で新しい愚かなおもしろい人が出てくる。
たぶんそういうの全部全部含めて生態系の自浄作用というかに含まれてるんだろうなぁといった感じ。
Aには絶対にそのカウンターのBが出てくるし、AとBの間には無限にグラデーションで色々な人がいるし、そういうの全部全部含めて最終的にはマクロではうまく回るようにできてる感。
そういうマクロな抗えない原理原則の中でミクロな個体がいて、自由意志もなくルールに従ってミクロの行動が規定されているみたいな世界観なんだと思ってる。
ランダムに抽出していくつもクラスを作ったとして、絶対にどのクラスの教室にも、委員長、イケメン、マドンナ、お調子者、いじめっ子、いじめられっ子、DQN、ずーっと本読んでるやつ、などなどそういうキャラがいる。
全員委員長キャラのクラスなんて全宇宙探してもどこにも存在しない。
それぞれの環境で、それぞれの生態系ができあがるが、それはマクロの原理原則からほとんど離れないものなのだと思う。
ミクロの個体の自由意志など存在せず、マクロの原理原則に従ってそれぞれの個体にそれぞれのキャラが付与されるというイメージ。
ミクロの個体によって閾値の差があって、委員長キャラを付与されやすい個体だったり、お調子者キャラを付与されやすい個体が存在している。
30人のクラスを作ったとして、その30人の中で一番委員長キャラになる閾値が低い個体に委員長キャラが付与され、同じくお調子者キャラになる閾値が低い個体にお調子者キャラが付与される。
この30人のクラスを学校、地域、国、世界、宇宙とどんどん広げて考えても、同じことが起こっているのだと思う。
だから、超マクロで見れば、最終的にはうまく回るようにできてるんだろうなーという感じ。
しかし、そこにはミクロの個体がうまく回ったり、幸せになれるかは全くの別問題ってところを忘れちゃいけない。
殺人鬼の幸福はマクロで見たときに否定されるべきだと思う。
しかし、殺人鬼というキャラも生態系の中で組み込まれているキャラの一部であり、マクロで見れば必要だったりするのかなって。
殺人鬼に殺される方にとっちゃたまったもんじゃないんだけど、マクロで見ればそういう悲劇も必要なのかもしれないなーって。
だからと言って殺人鬼を容認する社会にはならないのもまた生態系という。
何度も繰り返しているように、そういうのも全部全部含めて最終的にはうまく回るようにできてる気がするなーっていうそういう話でしたー
読んでいただきありがとうございます! ところで、カナダのブリティッシュコロンビア大学の研究によると、人のためにお金を使うと、自分の幸福度が高まるそうですよ(乞食)