視野狭窄社会

先日、レストランでの出来事。
ウエイトレスさんが、僕の注文品の載ったトレーを持って、厨房からこちらに向かって来ていた。
すると近くのテーブルの、おそらく70代位の老夫婦のお婆さんが「このメニューのこれは、分量を減らす事は出来るのですか?」と尋ね、ウエイトレスさんを呼び止めた。
彼女はトレーを抱えたまま、1~2分程、その応対をしており、その間、僕は「それ、先に持って来てもらえますか」と言おうかとして、それが出来ず、遠目から眺めているだけだった。
正解はウエイトレスさん(50代位の女性)が「すいません。しばらくお待ち頂けますか」と断った上で、僕のテーブルへの配膳を済ませた後に、お婆さんへの対応を行う事だろう。

その対応をしなかった彼女へももどかしいものを感じるけれど、やはり一番の原因は老女が年齢が故の視野狭窄で「今は話しかけるべき時ではないな。配膳が終わって戻るタイミングで捕まえよう」という事まで考えが至らない、つまりは『老害』が原因なのだ。

誰しも加齢で注意力が散漫になってしまうのは仕方がない。
しかし、ここ数年、こういった事例に出くわすことがあまりにも多くなった。
そしてこれはかなり可愛い方のケースで、高齢者のアクセルの踏み間違いによる交通事故(この記事を書いている最中にも児童の列に突っ込んだ、という報道有)もあれば、職場での高齢上司の視野狭窄や昔のやり方でしか対応できない(そして若手にも同じことを強要する)といった現象がそこかしこで頻発し、それが日本社会のブレーキとして各所で働いていると思う。
そこかしこの職場で、若手は頭の固くなった年配の上司・事業主からの邪魔立てをかわしながら仕事をしなくてはならない。
政界の『長老政治』と同じ仕組みが、末端まで浸透し始めている。
若者にとって息苦しい社会・やりがいの奪われている社会、或いはそれが国力衰退の一因なのかもしれない。

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