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学級通信 物申ーーーす
noteを見ていただきありがとうございます。小学校教員生活13年間で2400枚の学級通信を発行してきた経験を元に、主に学級通信に関することを発信しています。
学級通信に関してのご意見や交流などぜひ繋がってくださいますようお願いします!
さあ、今回は令和時代の教員オンラインサークル「まほろば」のマガジン「紡ぐ学級通信」の一部として書いていきます。
前回のななにんさんの記事お読みになりましたか?「3学期×学級通信」について書かれており、
・縦の物差しの大切さ
・基礎基本、凡事徹底
児童の「行動」に目を向けていく視点は大事だなあと。自分はできているだろうか?と考えさせられました。
ぜひ、まだの人はマガジンのリンクを貼っておきますので、お読みください!
マガジンはメンバー6人が輪番で「学級通信」を切り口として、様々に広げながら書いています。
「学級通信は廃止すべきなのか?」「学級通信の意義とは?」などなど6人分の見方や考え方に触れることができます。お読みいただけたら幸いです。
今回は「物申ーーーす」ということで、某トーク番組のテンションでタイトルを読んでいただけたでしょうか。まだの人がいるようなので、せーのの合図でタイトルを読んでみましょう。
せーの!
「物申ーーーす!」
はい。ありがとうございました。
ちょっとでもニヤッとしていただければ幸いです。(なんのこっちゃ)
さて、真剣モードに切り替えます(笑)
「学級通信」で発信していること。
僕の場合、その多くは
・学級で見られた児童の言動に対する「価値づけ」
・振り返りなどで書かれた児童の「声」が大半を占めます。
ポジティブな表現。ポジティブな言葉。そして、「見てもらえている」という安心感。そこで培った「関係」が学級を支える強固な土台となっていることは、経験則でありますが、ひしひしと感じています。
「よりよい関係」を築くその強力なツールとして、「学級通信」が存在しているわけです。
しかし、ここで立ち止まりましょう。
そんな日ばっかじゃなくね?と…。うまくいかない日。どこか綻びが見える日だってあるんじゃね?と…
そうなんです。想像される通り。
1年が波風立たず順風満帆に進んでいくということはこれまでも決してありませんでした。そこをどう伝えるのかは教師としての大事なスキル、どう在るかは大事なマインドになってくると思います。
そこで、今回はプラスな価値づけではない。
言ってみれば「物申す通信」と言いましょうか。ここは見逃せないという学級の状態を目の前に、「学級通信」を通してどのように発信しているかを紹介します。
ここで、綺麗な言葉を並べていても説得力はありませんよね。そのため、実際に配布した通信も載せます。
どんなことに気をつけて伝えているのか。僕が大事にしている教師としての「在り方」と共に伝えられればと思います。
前提として
「物申す通信」は必ず「学級の状態」について書くようにします。言葉はよくありませんが、個人を吊し上げるようなことは決してしません。個人レベルのことに関しては、個別に対応すればよしとしています。
さらに、「あなたたちならできる」「信じている」「見ているよ」という今までの姿や努力を認めてきた上で発信します。「関係性」ができていないにも関わらず、「物申す通信」を発行してもそれは形骸化された、響かないものになってしまいます。
そのため、2学期や3学期に書くことがほとんどです。
「気づき」を促す
僕の理想の児童像は教師の言う通りに動く児童ではありません。
自分で考え、動く。気づいて、動く。在り方、やり方を見つめて動く。
あれやれ。これやれ。人は無理やり動かしても動きません。頭ごなしなやり方は一時的、即効的な効果はあるかもしれませんが、持続していくかというと簡単に頭を縦に振ることはできません。さらに、築いてきた関係性を壊してしまうというリスクもあると思います。
事実として受け止め、そこに俯瞰した見方で「気づき」を促し、もう一度「どう在るべきか」「何をするのか」そういった原点のようなところに立ち返り、背中をそっと押す、伴走する。そんな自分で在りたいと思っています。
事実に注目・人格否定はNG
エラーは起こります。僕たちは「ヒト」。
思いがけない言葉を発してしまったり、本意ではない行動であったり、その日の体調だったり、気分だったり、その時の状況だったり…
それはもちろん「児童」にも言えることです。あくまでも「事実」をもとに感じたことを伝えたいと考えています。
さらに人格否定はしません。「言動」がよくなかっただけ。らしくなかっただけ。「言動」にはちゃんと「原因」があります。
「甘えだ!」「怠けているだろ!」と教師にとって都合のいい主観は避けたいものです。
教師も見直す
「言動」を見直そうよ。今まで培ったものをもとにこれからについて考えよう。
これ「児童」のみに投げかけていないでしょうか?
僕が気をつけていることは、じゃあ教師としての「自分」はどうなん?ということです。学級担任である以上、日頃の指導をしてきたのは僕であり、学年団。
「児童」のみに責任を押し付けるようなことは決してしません。
指導の積み重ね、やりたくなるような心の火の灯し、そもそもなシステム…それを度外視にはできないはずです。
だからこそ、僕の「在り方」「やり方」についても触れるようにしています。
「なぜできない?」→「どうしたらできるか」」
「なぜできなかった?」と原因を探っていくことは一つの手かもしれません。しかし、起こってしまったことは起こってしまったこと。そこだけを追求していては、前進していけないような気がします。いわゆる「失敗」をよくないものだと植え付けてしまうように思うのです。
そのため、「どうしたらできるか」「これからどうしたい」という未来に焦点を当てるようにしています。
「失敗」は宝。
「失敗」できたことが収穫。
「失敗」を認め、進んでいく未来志向
僕はよく児童に「失敗にする力」を身につけようという話をします。
「失敗」は省みずそのままにしていては、「失敗」にすることができない。
「失敗」を受け止め、どうするか、どう在るべきか…考えて言葉にし、行動していくからこそ、「あれは失敗だったよな」と初めて「失敗にする」ことができると伝えています。
実際の学級通信
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このような出来事があった場合、ほとんどは「その時」になんらかの声かけをしています。翌日「学級通信」で伝えるとなると「またか…」となりかねません。
そのため、あえてもう一度「学級通信」として発行する意味や僕の想いを児童に伝えてから配るようにしています。
また、「学級通信」はこんな感じだけど、実際の声かけは感情任せの怒り…なんてことになっていたら児童の心は離れていきます。
こういう内容を文章化することで、冷静になれたり、自身の児童との関わりで大事にしたいことが改めて見えてくるように思います。
筆文字「今日の言葉」
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最後までお読みいただきありがとうございました。
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