隣の芝は青いように見えて実は緑。

 はい。タイトルは全く関係ありません。笑 タダのボケです。

前回はトレイルランニングを知るキッカケを書きました。最後に?をつけたのは続きを書かなかった時の保険てことで、、、笑

まあとりあえず。ではなぜ、あくまでサッカーのトレーニングの一環として山を走っていた平賀少年がサッカーを辞め、本格的にトレイルランニングを始めたのか。パート1 です。

 これ需要ないと思いますんで、興味ない方はハートだけ押してもらって上にスワイプ!からの上にスワイプ!で、、はい!消されたら、、とりあえず長いんで興味のあるちょー優しい方は読んでください。笑

自分の記録として書き留めます。

自分は、高校卒業してサッカーから離れたいと思っていました。もうやりきったと思っていたから。

そんなこんなで大学に入学してからは、ライフセービング部に入部。と同時に何だかんだボールを蹴るのは楽しかったのでサッカーサークルにも入入った。最初は、楽しくボールを蹴れればいいなと思って入ったサークル。でも合宿やボールを蹴っている内に、高校の時には全く感じる事が出来なかったサッカーの楽しさに気づく事、初心を思いだし、またサッカーで勝負したいと思う気持ちが沸々と湧き上がってきた。サークルではなく大学サッカーで。 思い立ったが吉日。 ライフセービング部を辞め、夏休みが始まる直前、当時サッカー部に入っていた、今はスペインでサッカーを頑張っている雄大に監督の電話番号を教えてもらい即、直電話をしました。

「サッカー部に入りたいんです。入れさせてください」

監督「週3で練習を行なっている1番下のカテゴリーなら空きがある。ここから上がっていった選手もいる。」

無事、サッカー部に入る事に成功! 当時赤髪だったので、黒染めするのも面倒だし気合を入れて坊主に。


ドイツサッカー留学 マインツにて武藤嘉紀選手(現ニューカッスルユナイテッドFC)と。

 約1年半、ここで週2回の練習しかない場所で、時にはグランドが使えずフットサルコートで練習をし、ただ走りだけの日もあった、時には週2回しかない練習をオフに突然されることもあった、邪魔者扱いすらされたこの場所、このカテゴリーで、ただ這い上がろうと必死に走って必死に筋トレをし、練習に打ち込んだ。監督はこのカテゴリーから誰かは上のカテゴリーにあげるといっていた。結局誰1人としてあがる者はいなかったけど。 

大学2年になってからは、日に日に練習に来る人数も少なくなり、練習もマンネリ化し練習が無くなる日が多くなっていった。

その間ドイツ、マインツに行き、あわよくばプロなんて考えてサッカー留学をした。でも実際そんな甘いものではない。もちろん自分を知ってる人はよくわかっていると思うし、自分自身が1番よくわかっている事だけどめちゃくちゃサッカーが下手。本当に。でも走力や根性、努力、継続力、それでなんとかする。してみせる。全力でやれば叶う。そう思っていた。でも叶わない事もある。本当に凄い奴は、才能を持ってる。オーラもある。運もある。応援される。人を惹きつける。だから上にいけるんだと。

「運も実力」違う。「運は実力。人生の実力」

才能といっても、サッカーの才能だけではない。身体的な才能、努力する才能、人(コーチや監督、チームメイト)に恵まれる才能、決断する才能、本能的な才能。いわゆるもってるってやつ。

努力すれば...でもそれは手段に過ぎない。過程より大事なもの。結果を出さなければ。 

 Zeilsheim (ツァイルスハイム)での練習参加。ピカチュウとナルトが好きらしい。ピカピカ言ってくるいい奴だった。笑

自分はサッカーでは結果を出せなかった。そりゃそうだ。下手だもんなぁ。悲しいくらいに。だから、サッカーは才能のある奴、もってるやつに任せた。自分は全力でやった。満足した。未練がないと言えば嘘になる。でも、満足した。

 サッカー部に入って本当に良かったと思う。いいチームメイトに巡り会えた。そいつらの中には今海外で頑張っている奴もいる。自分の叶わなかった思いをあいつらが叶えてくれると信じてるよ。笑 

 うまくいかない事をダラダラやっていてもしょうがない。何かまた自分を熱くさせてくれるものを、、そんな時だった。5月になぜか50kmのトレイルランニングレースにエントリーしていた通知が来た。奥秩父を走る fun trail50k という大会だった。決めた。この大会で入賞できたらサッカーを辞める。

大学2年の11月の事だった。

coming soooooooon?! 



 

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