6-09「ゴースト」

連想ゲームふう作文企画「杣道(そまみち)」。 週替わりのリレー形式で文章を執筆します。前回は葉思堯「監視員日誌」でした。

5、6巡目は「前の走者の文章の中から一文を抜き出して冒頭の一文にする」というルールで書いています。

【杣道に関して】https://note.com/somamichi_center

【前回までの杣道】

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彼女の世界に派遣されたのはこれが二回目だった。 

一回目は先生によってだった。先生が先に彼女の展示を見に行き、作品達の作る空間がいかに美しかったかを話しながら、最初の部屋にあった青と緑と茶色の小さな絵なんかは君はこういうことをすればいいのにと思った、と言ったのがきっかけで見に行くことになった。今調べてみると 2017 年、四年前の展示だった。その時の私は展示に行くと作品を理解できないことを気にしていた。もっとよく知りたかったから理解したかったのだけどそれが絵を見ることを邪魔していたように思う。だからその時も彼女の作品の構成の巧みさも色の輝きもその詩も、味わうという気分になれなかった。彼女の絵は理解できなかったものとしてあるだけだった。しかしやはり良いものというのは流石で、私が頭では無理でも肌で感じていたものというのは確かにあったようで展示から月日が経つにつれて彼女の作品に惹かれる気持ちが大きくなった。 

二回目は六日前、運命によってだった。朝誰もいない工房にいると、今日隣の工房でモノタイプをやるそうだ、と教えてくれた人がいた。覗きにいくと水性のモノタイプをやるということらしく真っさらな版二枚と上等な紙二枚を使わせてくれた。水性のモノタイプでは版に塩ビ板の表面を紙やすりで細かく傷つけたものを使い、透明水彩絵具で描画をする。塩ビ板をやすることで板が絵具を弾かなくなり紙に描くのとある程度近い感覚で描くことができるようになる。(しかしそれでも紙とは違い浸透しないので絵具が表面にのっかているような感覚があり滲み方や際の出方には独特なものがある。)紙は銅版画でよく使うようなある程度厚みのある紙を濡らしたボール紙などで一晩挟んで湿したものを使う。そして塩ビ板に透明水彩絵具で描画して一度完全に乾かしたものに湿した紙を載せてプレス機に通す。プレス機の圧力によって押し付けられた紙に含まれた水分が版の上の透明水彩絵具を吸収して刷り上がるというとてもシンプルな技法だ。その原理上一度版に描いたものは一回の刷りで紙に持っていかれてしまいそれきりなので一枚限り、それゆえにモノタイプ monotype という。しかしモノタイプの二回目を刷っても版に微かに残った絵具で薄くなったイメージが刷れる。これをゴーストと呼ぶそうだ。その時部分的にあるいは全体的に絵具を足して刷ることももちろんできる。描き足さなければかたちは同じだが絵具が少ない、消えてしまいそうなイメージが刷れる。同じ版から刷られてはいるが複製とは言いにくい、しかしだが一枚目と二枚目の間には複製的な不思議な繋がりがたしかにある。これがなかなか面白い。(ちなみに石版においては刷り終わった石は表面を削り落として下にある真っさらな表面を露出させてから次の版をそこに作るのだがこの削る仕事が甘いと前の版の影が次の版に重なって出てきてしまう。これもゴーストと呼ぶ。)水性のモノタイプは一見すると水彩絵具で紙に描いた絵と変わらないように思うかもしれないがそこには転写されているためか、圧力を加えたためか、うまく言えない質の変化がありそこに魅力を強く感じた。その足でモノタイプの作品を探してみようかと図書館へ歩いた。ドガやゴーギャンがやっているらしいが。画集の棚に目を走らせていると彼女の本が数冊並んでいた。以前にここで手に取って見たことがあったからあることくらいは知っていたがモノタイプの質感が思い出され私の中で彼女の絵と共鳴した。数冊の中で大きな本のうち見た記憶が最も薄いものを選び開くとmonotype の文字が。monotype(one),monotype (two)と表記があり基本的に同じかたちだが異なる見え方をしている。これはゴーストだ。私にはそのときすぐに彼女のやりたかったことが感覚的に理解された。それは彼女のとても私的な嗜好の結晶のようなモチーフとそれを現すための方法のそれぞれが持つ魅力が重なり区別をすることができないほど一つになっているような詩だった。その本のタイトルは ghost であった。

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