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6-07「鈴木におまかせ(仮)(1)」

連想ゲームふう作文企画「杣道(そまみち)」。 週替わりのリレー形式で文章を執筆します。前回は藤本一郎「悩:詩コンプレックスと近代的人間の質」でした。

5、6巡目は「前の走者の文章の中から一文を抜き出して冒頭の一文にする」というルールで書いています。

【杣道に関して】https://note.com/somamichi_center

【前回までの杣道】

6-06「悩:詩コンプレックスと近代的人間の質」

6-05 「春の宵、君に捧げる詩」

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 言葉とは、為政者が支配のために作ったシステムであり、例えば税金を測って報告するために数字から変形して生み出されたものだ、というのが「ゾミア」のなかでジェームズ・C・スコットが述べていることであった。あるいはダンネマンは「大自然科学史」の第一巻において、人間の身体に紐づく単位が数字=文字の起源だ、と述べる。
 平成十六年八月十日、JR久留里線は俵田駅付近の鉄道レールの変形により運行を見あわせた。私はそのために、横田駅にて下車するよりほかなくなった。折からの高気圧を報道各社、連日この夏が災害レベルの酷暑であると報じていた。本来の目的地は俵田駅よりなお東、半島奥地の平山駅だが、JR線が動かなければどうしようもない。暑さのせいか自家用車の調子は悪く、店のトラックは別のスタッフが操っているから、電車に乗るしかなかったのだ。私は平山に、金策のために訪れる必要があった。積年隠し通してきた分の追加徴税を受けたばかりでもあった。
 午前十時二十分過ぎ、千葉県袖ケ浦市横田もまた「災害レベル」の照りつけであった。小さな駅舎の周辺は、ひと気もなく、住宅や駐輪場の看板がまばらに目につくその様子は、貧相な売れ残りがいじらしく居座る閉場間際の野天市場を思わせる露骨さ、出歩く人の姿はない。先年の秋口に一度、このあたりにやってきた覚えがあったのだ。金払いのいい男だった。五十手前、精悍で、神経質そうでさえあった。スポーツ賭博の会に現れた桐谷というその男は、私が会に参加する以前にはよく通っていた人物だそうで、やりとりのなか、こちらが古道具を商っていると知るや、組み立て式の本棚の在庫について尋ねてきた。答えると、在庫すべてを購入したいと言い、その場で配送の日取りまで決めた。納入先の自宅所在地が袖ケ浦市横田だった。線路を見下ろす位置だった。
 タクシーの車庫に行き当たる。事務所らしき扉を叩いた。自由な金は少ないが、この暑気のなか徒歩でアマチュア探偵をやるのはあまりに負担だ。座席に腰を下ろすと、汗で重くなった衣服が尻に張り付いた。車内が日陰というだけで気が落ち着き、急に少し眠くなる。冷房機から吹く風を呼吸の流れに巻き込んだ。がぶ飲みするように冷風を吸う。胸のなかにこの風の軌跡が筋になって肺へ降りるのを感じる。目尻に垂れる汗の滴はテントウムシほどのサイズだろうか。何度も親指の付け根でぬぐう。取り出す手帳のページも汗の雫で丸く黒ずむ。
 目的地に到着し、自分がやっていることがわからなかった。一度訪れただけの家に事前連絡もなく突如あらわれ、金策をしようというのだ。切羽詰まっている。プーフェンドルフ、ふるくはアリストテレスは、貨幣は人為的に創造されたものだと述べたが、ジョン・ロックそしてジョン・ローへ連なる論脈では自然発生的に誕生したものとされている。また、貨幣は、異なる共同体の境界で生じるものだというのはマルクスの由である。モーゼス・ヘスあるいはイエス・キリストになると、理想的な世界には貨幣は必要ない。貨幣は皇帝のものだ。神の国に皇帝のものは不要である。
 ここは貨幣の国だ。こちらの状況は必死なもので、桐谷は賭博会での知り合いだが、これは金策の勝算には関係ない。まったくない。そもそも賭博といっても、われわれは金銭を賭けていない。山あいというのに、暑さに参っているのか蝉が鳴いていない。桐谷邸の前庭は盛夏に荒れ放題で、去年の秋口に訪れたときの趣は見る影もない。少なく見積もっても築三、四十年は経っているだろう二階屋で、窓もカーテンも閉ざされ、呼び鈴は寒々しく遠く響く。なにか事件でもあったのかと訝しむ。
 玄関をまわって家の裏へと足をむけた。以前、十もの本棚を運び込んだ庭を、アコーディオンフェンス越しに覗く。庭には、黄緑色のテントが設営されていた。テント布は夏山の湿度を受け、死にゆく人の胸のようにわずかに動く。そこだけ三角にメッシュ地になったテントの窓を覗くと、ある瞬間に内部が見えた。息を飲む。テント内から、こちらをまっすぐ見つめる少年と目が合ったのだ。
「桐谷はいません。桐谷の知り合いですか」
 しばしの膠着状態ののち、こわばった声で少年がたずね、私は少年に問うた。
「ここでなにをしているんですか。平気ですか」
 少年は答えない。私は目を落とし、それからまた顔をあげなおし、家を見上げる。
「桐谷になにか用ですか」
 少年が声をかけてくるが、先ほどよりも声の調子はやわらかい。
「まあ、そんなところです。君はここでなにをしているんですか」
「え」
 少しためらったあと、少年は返答をよこす。
「姉を待ってます。姉は桐谷のところにいて、帰ってくるまで待ってるんです」
 少年はテントからでてきた。
「ふたりはどこにいるんですか」
「玄関あけましたか」
 私の質問に答えない少年と、塀をはさんで黙って並んで歩き、玄関にまわる。門をあけ、玄関扉のドアノブを回す。鍵はかかっていない。扉をあけると、板壁になっていた。内側から、玄関を本棚で塞いでいるのだ。
「これは、本棚の裏側だ。これ、ほかに出入り口ないなら、桐谷さん、なかにいますよね」
「ほかも同じですよ、内側から塞がれてる」少年が教えてくれる。
「お姉さんと桐谷さん、ふたりでなかにいるってことですか?」
「さあ。姉は毎年この時期、桐谷のとこに寄っているはずなので」
 汗が旺盛に湧き出てきた。皮膚の下に発生した熱源が筋肉や血管を圧迫する。火傷の痛み方に似ている。
「君はいつからここにいるんです? 熱中症にならない?」
「家、すぐそこなので。桐谷になんの用ですか」
「電車が止まっちゃってね。暑さでレールが曲がったとかで」
「電車が止まったから、だからここまできたんですか? 車の音聞こえましたけど」
 私は少しいらだちを覚えつつも応答する。
「もともとね、電車が止まらなくても、顔を出す用事はあったんです。ただの付き合いですが」
「借金ですか?」
 私は言葉に詰まる。少年は続ける
「桐谷は借金を多くしました。去年ね。それでよく借金取りが来るんだよ最近。おれはもう死ぬ、みたいなことを言って、どうせ死ぬからって借りまくって、結局死なないんだ」
 私は自分の目的が言い当てられたのかと思い、無駄な脂汗を滲ませてしまったが、酷暑がそれをごまかしてくれた。

《《つづく》》


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【杣道とは?】

7人の読書好きによる、連想ゲームふう作文企画。 週替わりのリレー形式で文章を執筆します。書き手は自分に渡された文章しか読めず、他の作品はnoteで発表されるまで読めません。 文章ジャンルは無制限。文字数は2500字以内。どんな作品が生まれるのか。お楽しみに!

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