【長編小説】父を燃やす 1-5

学校から今村悠太の家までの道のりはおよそ20分だった。国道から小さな路地に入り、曲がりくねった道を少し行くと神社がある。その神社の裏手にある脇道を通っていくと近道だと今村悠太は真治に伝えた。

今村悠太の小さな背中に背負われたランドセルを眺めながら真治はこのクラスメイトが自分に与えた衝撃を思い出していた。

自分の誰にも知られないはずだった傲慢さを見抜いた今村悠太。その友達は今、ほかのクラスメイトと変わらない屈託のなさで真治に話しかけていた。

今村悠太は真治の記憶力の謎について聞きたがった。どうすれば一度読んだだけの漫画の台詞をあんなに完全に再現できるのかと。なにかコツがあるのか、自分にもできるのだろうか。

「あんまり意識してないけど、なんか頭に残ってるっていうか、思い出そうとしたら頭に浮かぶんだよね。文字がそのまま口からでるってわけじゃなくて、頭の中に映像が浮かぶんだ。映画の字幕みたいに。漫画はいいよ。絵と一緒に浮かんでくるから、覚えやすい」

今村悠太は道に生い茂っている草を足で掻きわけながら真治の言葉に感嘆の声をあげた。

「吉田君にはスタンドがついてるんだよ。なんでも記憶しちゃうスタンド」
「吉田君ってやめてよ。真治って呼んで」

「うん、じゃあ真治にはスタンドがついてるんだよ。なんでも記憶しちゃう。うーん、なんて名前にしようかな。吉良吉影みたいだから・・・」
「吉良吉影は今村君だろ。『今村悠太は静かに暮らしたい』」

「悠太でいいよ。うーん、記憶だからメモリー・・・、そうだ、メモリークイーンにしよう。吉良吉影みたいだし」

「メモリークイーン?」

「そう、メモリークイーン」

「ださくない?」
「えー、ださいかなー。『メモリークイーン』は目に『触れたもの』は『どんな物』でも『記憶』することができる」

「そいつ弱くない?」
「すごいじゃん、なんでも記憶できるんだよ」

「攻撃できないじゃん。憶えておわり」
「憶えるだけじゃないよ。『記憶』したものを『どこでも』再現することができる」
「どっちにしろ攻撃してないじゃん」

今村悠太は学校の中とは違い、雄弁だった。漫画について語るとき、今村悠太はその存在感を十分に発揮した。教室の中での影の薄さは静かに漫画を読むための擬態だった。

クラスメイトとの間に壁を作っていた彼だが、本当は読んだ漫画について話し合える存在を求めていた。ただ自分以外の人間に自分の好きな漫画の本質がわかるはずはないと思っていた。

漫画を読むときに自分の中に生まれる言葉にできない感情の揺れ動きをほかの人間に理解されるはずがない、いや、むしろその感情は自分だけのものであり、簡単に理解などされたくない、そう考えていた。自分の中の特別な感情を理解できるのは特別な人間であり、教室で猿のように騒いでいるクラスメイトなんかでは決してないと。

真治は今村悠太に特別な人間であることを承認された。『聖なる矢』に貫かれても死なない『スタンド』を発現できる精神の才能をもった人間として。

「ついたよ。家、寄ってって」

今村悠太の家は小さなアパートの一室だった。もとは白い色をしていたと思われる外壁は灰色に変わっており、ところどころ黒い汚れがついていた。アパートの周りに生い茂る草はだれかが手入れしている様子はなく、好き放題に伸びていた。今村悠太はランドセルの中から銀色の鍵を取り出すとドアノブに差し込み、ガチャガチャと回した。

「入って。誰もいないから」

今村悠太に招かれ中に入ると微かに芳香剤のにおいがした。部屋の中は薄暗く、空気はひんやりとしてた。

「家の人は?」
「いないよ。お母さん働きにいってるし。うち、ボシカテイなんだ」

「ボシカテイ?」

「そう、お母さんと僕の二人で暮らしてるの」
「お父さんは?」
「知らない。昔からいなかった」
「ふーん、うちと一緒だね」

「えっ?」

「うちもお父さんいないから」

今村悠太は瞳を輝かせて真治を見た。

「真治の家もボシカテイなんだ?」
「そう。ボシカテイ」

『ボシカテイ』というその言葉に今村悠太はなにか特別な意味を感じているようだった。ほかの人にはわからない、父親と母親が一緒にいることをさも当然と考えているような人間にはわからない、『ボシカテイ』という環境を背負った自分。

なにかしらの欠落を自分の中に感じさせ、自分ではどうすることもできない負い目を背負わされている気持にさせる言葉。

それは他者からの視線によってもたらされるものだった。他者は『ボシカテイ』という言葉を同情をもって今村悠太に浴びせた。彼はその声を聴くたびに自分がなにかしらの欠落を持った人間であることを意識させられた。

普通の人でないという意識は少しずつ今村悠太の心の中に沈んでいき、その奥底でゆっくりと醸成されていった。今村悠太は他者との間に壁をつくった。世間が彼に同情の言葉を浴びせるとき、彼は反発し、ときには見下した。

お前らになにがわかるんだ?

それを癒してくれたのは漫画だった。漫画の世界の中では彼は自分の欠落や負い目の意識を感じずにすんだ。目の前に広がる世界は自由であり、冒険と誇りに満ちていた。欠落や負い目はキャラクターのアイデンティティに変わり、そしてそのアイデンティティが強い個性となってキャラクターを輝かせていた。その世界に没入していれば自分も輝かしいキャラクターになれる。『スタンド』を操り、同じような欠落をもった仲間とともに闘うことができる。普通というものを押し付けてくる世間に対して。

その漫画の世界から飛び出してきたような真治を今村悠太は唯一の友達だと思った。漫画のような能力を持ち、世間を見下すダークヒーロー。そしてそのヒーローは自分と同じ「ボシカテイ」なのだ!

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