【長編小説】父を燃やす 1-1

学校で行われる授業の全てを真治は隅から隅まで記憶した。そして家に帰るとそれが何に役立つのかを考えた。

真治にとって知識とは有用性だった。それがなんのためになるのか、社会で地位を得るためのどんな武器になるのか、常にそんなことを考えていた。母の父を憎む気持ちは真治の心の奥まで浸透していた。

学校で日々を過ごすうちに真治はあることに気が付いた。クラスの中で高い地位につくこと、皆から慕われるリーダーになること、そのためには勉強だけをしていてもダメだということを。周囲からの信頼を得、尊敬されるためには快活なコミュニケーションをとる必要があった。あるとき真治は隣の男子に話しかけた。


「吉村先生ってさ、話すときどもるよな」
「そうそう、鶏みたいにさ」
「それをごまかそうとしてさ」
「そう、よけいにひどくなってさ」
「えー、み、み、みなさん、きょ、きょ、きょうはみ、み、宮沢賢治のや、やまなしを読んで、えー、い、いきましょう。
 に、に、二疋のか、か、蟹のこ、子供らが、あ、あ、青じろい水、水、の底で話していました。
『く、く、くらむ、クラムボンは、わ、わ、わらったよ』
『く、く、く、クラムボンはかか、か、かぷかぷわ、わらったよ』
『く、く、クラムボンはは、は、跳ねてわ、わ、わらったよ』
『く、く、く、クラムボンはか、か、かぷ、かぷ、、かぷかぷわわ、わ、わ、わらったよ』 」


真治が「吉村先生」の真似をすると隣の男子は子犬のように笑い転げた。そしてクラスの仲間に真治の物真似がどれだけおもしろいか吹聴してまわった。真治は求められるたびに「吉村先生」の物真似をした。男子も女子もクラスの誰もがそれを見て笑った。真治は「吉村先生」の物真似でクラスの人気者になった。「吉村先生」の物真似は真治にとって有用性の高いものだった。クラスで話題になったそれは吉村先生の耳にも届き、真治はきつく叱られた。しかしその怒った様子をまた模倣することで真治はより一層の人気を得た。

一度明るくおもしろいという評判を得てしまえばあとは簡単だった。クラスの皆が真治を楽しい人間だと思った。「吉村先生」が飽きられたと感じたら他の教師の模倣をした。それも尽きたらテレビに映る人間の真似をした。そんなものをまるでおもしろいとは思わなかったがテレビで大人が発する言葉や動きを力いっぱい模倣した。自然と真治の周りに人が集まってきた。お笑い芸人のギャグを模倣しながら真治はこいつらみんなバカなんだと思った。甘い優越感に心が痺れた。

クラスでの名声を確固としたものにした真治は世の中を甘く考えた。こんな他愛のないことで笑い、尊敬のまなざしを向けるクラスメイトが世の中の人間の姿だとしたらこんなに簡単なことはない。模倣という仮面の下から覗く景色はひどく単調でバカバカしかった。真治の周りで猿のような笑い声をあげる男子、その男子にあきれたような視線を送りながらも真治に媚びたような顔を見せる女子。教室は真治の思うがままの世界だった。

その世界に異分子がいることに気が付いたのは細かな雨の降る肌寒い秋の日だった。

真治は男子の一人と前日にテレビのバラエティ番組でお笑い芸人が話す様子を模倣していた。真治の模倣は今やクラスでの最上の娯楽となっており、クラスの大半が真治の周りを囲んでいた。

真治は頭に前日に見たテレビの画面を思い浮かべた。イメージは完璧だった。コミカルな手足の動き、無知を表現するためのおどけた表情、シンプルで下品な言葉。頭に描かれたバカを装うお笑い芸人のイメージを動作に変換する。身体に流し込まれたイメージは言葉と動作によってテレビの一場面を再現する。集まっているクラスメイトの頭の中に埋め込まれた前日のテレビの一場面を。同じイメージの共有を伴うことによってそこには一つの空気が醸成された。クラスメイトは真治の言葉と動きによって前日のテレビのイメージを呼び起こされると同時に、その時感じた快楽をも思い出した。これは家族とともに笑った時間の再現なのだ。今ここは笑うための場なのだ。同じ「笑う」記憶を刺激されたクラスメイトは一斉に笑い声をあげた。真治は模倣を続けながらその様子を醒めた目で見ていた。

瞬間的な光がその世界を遮った。真治の模倣によって作られた空気は瞬時に消え去った。クラスメイトは皆、真治から視線を外し、窓の外に広がる薄暗い景色を眺めた。ごろごろと重たい音が鳴る。


「かみなりー」


 誰かが叫ぶ。一つになっていたクラスメイトは個々の不安に動かされて散らばっていく。真治も模倣をやめ、ぼんやりと窓を眺めた。ときおり光る灰色の雲を憎らしげに睨んでいると窓際の席にぽつんと座っている男子が視界に入った。男子は雷の光や音など気にしないかのように一心不乱になにかを読んでいた。

真治はその男子をはじめて見たと思った。今まで真治の周りにできていた輪のどこにもその男子の姿はなかった。

クラスにあんなやついたっけ。

男子は真治の作り出す空気とは別の世界にいるようだった。真治は胸に怒りが沸きあがってくるのを感じた。自分の意のままに動かない存在は許せなかった。


「あいつ、むかつくな」


 真治は隣の男子に聞こえるように呟いた。

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