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自己肯定感って

そんなに大事?

最近特に大切だ!とか高めなさい!みたいな文脈で使われまくっているけど、個人的にいまいちピンとこない。

 ほっといても人間なんて自分自身のしょうもない行動や思想等を、自然と言い訳がましく自己肯定してるじゃん?と思ってしまう(私含め)。無意識のうちに自分自身を正当化しながらなんとか生きている。自分を傷付ける行為も、肥大化した自意識過剰さも、反対の様に見えて根っこは同じ。そうしないとやってられないから、所詮そんなものではなかろうか。

 私はそれを悪いとは決して思わない、自分含め人間なんてそんなものだと思っているから。他人にも、そして自分自身にも変な期待なんかしたくない。だからといって軽蔑したり蔑みもしたくない。聖人君子なんて存在しないと思ってるし、皆いろんな一面を持ってる。

 文章にするとなんとなく厭世的な感じになるが、全然そんなことはない。自己を肯定するよりも、”まーしゃーないよな人間だもん”って大抵の出来事(倫理を逸脱した行為を除いて)に対して思えるほうが大事だと最近考えている。「自分はこんなに頑張ってるんだから」、「貴方に尽くしてあげたんだから」みたいな、しょうもない感情に振り回されずに済むしね。

 この”まーしゃーないよな人間だもん”感は自分にも他人にも有効なのが便利だよね、人生における大抵の問題の根底には人間関係があるっていうし。それでいて自己肯定(自己言い訳)感が過剰にないと生きていけない人も当然否定しない、斯く言う自分もそういう節があるわけだし。ただ自己肯定感があれば物事がすべてうまくいく!生きやすい!みたいな風潮が気持ち悪いなぁとふと思ってnoteに書き殴る。単純に意識高い風なのが嫌いなだけとも言う。

このnoteも3ヵ月更新してなかった。
まーしゃーないよな。


 

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