見出し画像

創価学会、良かったこと後悔したこと。

創価学会3世・30代・女性です。創価学会で良かったこと後悔したことを書こうと思います。※個人の経験談であり感想です。
※この記事はアンチ投稿でもなく宗教を否定する記事ではありません。

良かったこと

・人生に悩んだとき、落ち込んだとき、励ましてくれる先輩がいた
・自分の目標に向けて、モチベーションを保って挑戦する習慣がつく
・無意識の偏見や差別に気が付くことができた
・普段出会わない人に出会える

後悔したこと

・自己主張を認めてくれない時があった
・学会活動によって自分の時間を奪われる時がある
・親の意思による生まれてすぐの強制的入会と退会が難しいこと


以下、良かったことから詳細を記述していきます。

『人生に悩んだとき、落ち込んだとき、励ましてくれる先輩がいた』

10代思春期の友人関係、受験、就職と、大人になるまでに誰にでも様々な悩みが出てくると思います。そういった時に、友人でもなく親でもなく話を聞いてくれて、共感してくれる存在がいることは心の支えになると思います。

創価学会では、定期的に家庭訪問に訪れてきてくれて、悩みを聞いてくれる時間があります。誰に話したわけでもなく、やさしい女子部のお姉さんが家に来てくれて、話を聞いてくれるので、当時はありがたい気持ちでいました。(今思えば私の母親が女子部のお姉さんに「娘が悩んでいるようだから話を聞いてあげてくれませんか?」と話してくれていたんだと思います)
悩みの全てを創価学会の考え方で解決できたわけではないですし、部活が終わって疲弊している時に突然家に来られて困った時もありました。ですが、将来のことで母と大げんかしたときや、受験に失敗して落ち込んでいた時などとても救われました。『私もこんな強くてやさしい素敵な女性になりたい』と思うほどの先輩に出会うこともできました。

『自分の目標に向けて、モチベーションを保って挑戦する習慣がつく』

上記記載した内容と被るところもあるのですが、先輩はただ悩みを聞いてくれるだけではなくて、「これからどうしていきたい?」「どうしたら前に進めるかな?」「じゃあまずはこうしてみたらどうかな?」と具体的な解決策を出して一緒に考えてくれました。目標が決まった時や解決策が明確になった時は「明日から行動してみよう!毎日一緒に祈ろう!」と応援してくれました。こういった姿勢にかなり救われましたし、実際に目標を達成できたことや解決したこともありました。


『普段出会わない人に出会える』

子供の頃は、大きな病気をした方、体が不自由な方、個人ではどうすることもできない大きな悩みを抱えた方に出会う機会は少ないと思います。周りにいたとしても、話す機会がありませんし、意見を交換する能力もありません。創価学会での大きな経験として『体験発表』というものがあります。世の中にはいろんな方がいて、それぞれたくさんの悩みを抱えていて、それをどう乗り越えたかを体験発表として知る機会があります。子供ながらに色々な方の体験を聞かせていただき、学校では教えてくれない、人間の生き方をここで知ることができました。


『無意識の偏見や差別に気が付くことができた』

創価学会では『国籍』『年齢』『障害』『政治』‥『宗教』など自分と違うものや価値観を持っている人と接する機会があります。人間はよくわからない存在に出会った時に不安を感じるものだと思います。それらは当然の感情で、ひとつひとつ知っていくことと相手を理解する気持ちがあれば、コミュニケーションをとっていけると思っています。
私は創価学会でいろいろな方と接することで、自分の無意識の偏見や差別的なものの見方に気がつくことができたと思っています。もちろん子供なので自分の考えをうまくまとめて意見を述べることは難しく、ただ相手の話を聞いているだけでした。ですが、「目の前で悩んでいる人を助けたい」という気持ちや、「差別はいけないことだ」「対話をして相手を知ることは大切だ」という基本的なことを学んだと思っています。大人になり、知らないことを知る努力や、世の中にある差別や不条理への憤り、政治に対する関心、正義感の芽生えはここから来ているとはっきり自覚しています。学校では教えてくれないことを教えてくれたと思っています。


以下、後悔したこと

『学会活動によって自分の時間を奪われる時がある』

『自己主張を認めてくれない時があった』

小学生の頃です。どうしても仲良しの友だちと遊びたかったので、一度だけ未来部の会合に行かなかったことがあります。(未成年を未来部と呼び、月に一度は会合がありました。)母親からは「もうそんな子は知らない!」と怒られ、しばらく無視されました。そのときの疎外感と母親への恐怖感、友達と仲良くしていないとグループから外されてしまうという恐怖感、自分は何か大きな過ちをしてしまったのかという負の感情がずっとありました。

中学生の頃です。部活動に明け暮れていたので、朝晩の勤行(お祈り)はできませんでした。母親はいつも「活動を怠ると功徳がなくなる」と言っていました。友人関係の悩みや部活でいっぱいいっぱいだったことと、クラスで優秀な子や好かれている子は宗教活動なんてしていないのに、なぜそんなこと言われなければならないのだろう」と思っていました。

母は学会活動で忙しく、夜は居ませんでした。家事もしないで活動優先にしていたときがありました。高校時代ではお弁当は作ってくれなかったため、私は毎日菓子パンを食べていました。(田舎の高校だったので、売店には菓子パンしか無かった。)友人からひどく心配されて、友人のお母さんがこっそりお弁当をくれたことが何度かありました。
思春期もあり、宗教のことで母と大げんかを何度かしました。正直何度も「この家に生まれなかったら宗教で悩むことはないのに」と思っていました。今思えば家事と育児と学会活動に疲れた母の姿を見たくなかったし、もっと普通の仲のよい母娘のようにたくさん話をして過ごしたかったです。

大学受験を控えていた高校生の時でした。私にはどうしてもなりたい職業、将来の夢があり、入りたい大学がありました。浪人している人が多い難関大学でした。両親や学会会員の方は基本的に応援はしてくれているのですが、「創価大学は受験しないの?」という質問を何度もされました。私には兄弟がいて兄弟も創価大学を出ていたし、どんなところかもなんとなくですが知っていました。自分の学びたいことを最優先にしていたので、もちろん秒で断っていました。母親は特にしつこかったです。「どうして自分の目標に向けて頑張っているのに、足を引っ張ることをするのだろう」と正直うっとおしく感じていました。毎日16時間ほど受験勉強していたので、創価大学の学科を受験するための時間などありませんでした。

結局私は2浪もしてやっと念願の大学へ入学ができました。1浪して大学に落ちてしまいひどく落ち込んでいた時に、母親は「お前は親の気持ちを何もわかってない。」と激怒しました。母からすると、私は勉強も信心も怠ったように見えたようでした。でも私は365日休まず勉強していたし、お題目も定期的に上げていたのでそんなことは全くなかったです。宗教のことは置いておいて、受験で親に迷惑をかけたことは事実ですが、その時は自分の全てを否定された気持ちになりました。
浪人中は毎日1時間お題目を上げていました。もちろん大学合格祈願しかしていませんでしたが、お題目の最後には必ず「はやくこの宗教家族から抜け出して自立がしたい」と涙ながら願っていました。

大学生の時期には、『白蓮』と呼ばれる活動がありました。会合に来る人のために、入場券の整理や退場の誘導など、イベントのアルバイトのようなものです。もちろんすべて無償です。選挙カーに乗り『ウグイス嬢』もやりました。週に何度も練習をし、選挙カーに乗る日は早朝から日が沈むまで練習と声出しをしました。若いので政治に関心などほとんどありませんし、無知なままです。創価学会は公明党を支持していますが、私は何もわからずウグイス嬢のセリフを練習していました。声はがらがらに枯れました。こちらも無償です。「功徳をいっぱい積むことができるよ!」と正義感溢れる先輩に言われたら断る選択肢はありません。友人に公明党のはなしをしたり、投票のお願いもしないといけなかったので心身ともに疲弊しました。

なぜそんな活動をしたのかというと、あんなに怒る母が白蓮や公明党を応援しているときは、とてもやさしく幸せそうでした。学会活動に対して、母に対して、申し訳ない気持ちがあった私は頑張っていました。喜ぶ母を見て、すごく嬉しかった反面、心はずっと晴れないままで暗くどんよりとしていて複雑でした。もちろんお題目を上げても憂鬱な気持ちしか湧いてこなくなっていました。


『親の意思による生まれてすぐの強制的入会と退会が難しいこと』

これについては、別の記事でも述べているとおりでまた思っていることを書きます。長くなりすみません。ここまで読んでいただきありがとうございます。