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誰かに愛されたい

前書き

こんにちはこんばんは、絹ごし豆腐です。

誰しも、人から愛されていたい必要とされたい存在を認められたい、と思うと思いますが。今これを読んでいるあなたはどう考えていますか?

そういう気持ちが強い人は、自分に自信がない、今までの人生で人から愛情をあまり得られなかった、などといった事に当てはまるそうです。
(ネットの情報なので一概に皆そうだとは言えませんが)


自分の価値を他人に委ねるということ

私自身、重度の愛されたい症候群なのですが、他人に存在意義を求めてしまい、誰かに認められないと、もう自分には生きる価値がないと決めつけてしまうことが多くあります。多くあるというか、むしろそういう事ばかりです。


最近そんな私は思うことがあります。

"他人に認められなかったら生きる価値がない"というように、他人中心に世界が回っている私は、果たして恋愛に向いているのだろうか。


他人に認められなければ生きる価値がないなんて自分はなんて他人任せで情けないのだろうと、自分が更に嫌いになって自己肯定感が下がる。誰かに認めてもらいたい。この負のループから抜け出せずにいます。


恋人関係

でも、他人に認められたいなら恋愛以外でも良いんじゃないの?と思う方もいると思います。仕事で実績をあげて昇格した!とか、学生でいえば評定で5を貰えた!とか。まさしく自分の努力が他人に認めて貰えたという事ですよね。

それでも私は恋愛の中にその欲求を向けてしまう。

その理由は恋人関係という唯一無二の関係の中にあります。

私以外にもこの仕事は務まる。私以外も評定で5は取れる。でも、この人と恋人なのは私だけ。

恋愛って一夫多妻制でもない限りは1対1の関係ですよね。だから私は恋人という関係に惹かれてしまうのです。


愛されたければ


愛されたいのなら、自分も誰かを愛する覚悟が必要だ。という旨の文章を最近論理国語の授業で学習しました。

たしかにそうだとは思うのですが、一概に他人を愛せば他人からも愛される、とは言えないのでは…と、私はこの文章を読んだ時とてもモヤモヤしました。

心から人を愛してもその人はこちらを愛してくれるとは限らない。

どんなにその人に見合うような人になろうが、その人のタイプに近づくよう努力しようが、その人は振り向いてくれるとは限らないのが現実です。


私は高校生で、中学生の頃と比べればある程度交友関係も広がりましたが、まだまだ狭い人間関係の中で生きています。

この先私だけを愛してくれる人に出会えることを心から願う今日この頃です。

それまでは、いつその人と出会ってもいいようにダイエットとかメイク研究とか、自分磨きを頑張ってみようかな。

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