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父と私とお酒のはなし

小さい頃から、長テーブルの上座に座る祖父がビールや日本酒を、顔を真っ赤にして飲んでいるのを見ていた。その横で父が顔色を変えずにビールを飲み、そら豆を食べているのも日常の風景だった。テレビでは野球中継が流れて、チャンネルの主導権は祖父か父。祖母と母と伯母、私と弟、愛犬。7人と1匹の結構な大人数の家族だった。

私が中学生の頃に伯母が、高校生の時に祖父が他界した。

テレビが野球中継から変わらないのも、当時はすごくイライラしていたし、7人で座るには窮屈なテーブルもちょっと嫌だったはずなのに、高校生になって野球部のマネージャーになってからやっと面白さに気づいた野球中継とか、だんだん広くなるテーブルが、寂しかった。

大学進学を機に家を離れることになり、実家のテーブルはまた広くなり、私が帰ると少し狭くなるを4年繰り返した後、愛犬が他界し、新たな犬を迎え入れ、弟が家を離れて、実家のテーブルに座る人は、祖母、父、母の3人だけになった。
私が初めてあのテーブルでご飯を食べてから、あっというまに家族の形は変わっていた。

私が20歳になるかならないかくらいの頃、「親は20歳になった子供とお酒を飲むのが嬉しい」という話をよく聞くようになり、父もそうなのだろうか、と思い、20歳になってから初めての帰省では父とお酒を飲んだ。でも父は特段嬉しそうでもなく、いつも通りだったから父は違ったのかな…と感じたのを覚えているし、弟が20歳になって初めての年末年始に3人でお酒を飲んだ時も同じだった。

私は26歳になり、父は55歳になった今年の秋、父が私のアパートに遊びに来た。せっかくなので家の近所の居酒屋を予約し、父と久しぶりにゆっくり話すことが出来た。20代前半の頃は、カクテルやサワーが好きだったが、社会人になってからは父と同じくビール党になり、父と同じく糖質を気にして2杯目以降はハイボールを飲むようになった。この日も同じように飲んで、食べて、会計をする時、私は初めて父に「私が払うよ」と言った。社会人4年目で、まだ満足なお給料では無いが、せっかく遠方から来てくれたので、元々自分で払うつもりだった。

「娘にご馳走してもらうの、やばいね」と、父は笑っていた。父は嬉しい時や楽しい時によく「やばい」と言う。いつもの父の笑顔だったが、そこで気づいた。ああ私や弟が20歳になって、一緒にお酒を飲んだ時の顔と同じだ。そうか、あの時、父は喜んでいてくれたのか。
変わっていくことが寂しくて怖かったが、変わるからこそ、変わらないものに気づくことが出来ると思えた瞬間だった。

これからも家のテーブルを囲むメンバーは変わっていくだろう。そして私はいつか誰かと別のテーブルを囲むだろう。でもそれはまだ少し先の話だ。もう少しで1年が終わり、また新しい1年が始まっていく。悲しいけれど時間は止まらない。変わっていくものが沢山ある中に、変わらないものも必ずある。変わらないものを抱きしめるためにまた今年の終わりには家族でテーブルを囲みたい。美味しいお酒を飲み、美味しいご飯を食べて、年末のテレビを観ながら、きっと今年は家族の顔を目に焼きつけるんだと思う。
そして、父はまたいつも通りの笑顔で笑ってくれるだろう。

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