僕はラストマイルをつなげるか? 映画『ラストマイル』感想
映画ラストマイルの感想です。ネタバレするので鑑賞後に読んでください。
僕と友達の人は一緒に観に行きましょう。よすぎる映画は何回見てもいいので。
はじめに(開幕自分語り)
よすぎる。よすぎてつらいわ。
僕はどうしても作品を通して自分の人生を考えてしまうタイプで、ラストマイルが良い作品だからこそ非常に現実の自分の浅はかさを感じて嫌になる。
よすぎてつらい。
ラストマイルを担う善なる人々の中に僕は入ってるか?虚しいシステムを支える一人になってないか?そういう問いがぐるぐるしている。
っていうのはおいといて、
まずはよすぎるって話をしようね。
ミステリーがよすぎる!
小包爆弾による連続爆破事件、そこに大規模流通サービス(デイリーファスト、略してデリファス)を絡める題材選びがよすぎる。
ヒト、モノが徹底管理された倉庫にいかに爆弾を運ぶか?という密室にも似た不可能犯罪、その謎が前半を盛り上げ、作品世界に引き込んでくれる。
その後に控える、犯人は誰?という謎。中盤のエレナ(満島ひかり)へのミスリードが、より作品の奥へとのめり込ませてくれる。
一体誰が?との問いと、それぞれの人物の怪しい行動がさらに謎を呼ぶ。
そして導かれる、一体なぜ?の謎。
これが結局作品の心臓になっている。
山崎はなぜ死んだ?
エレナの不可解な行動の理由は?
犯人はなぜデリファスの荷物を爆発させる?
謎を追っていくうちに、それぞれの過去や思いを理解してゆく。
巨大な謎の全貌が見えると同時に、絡み合ったそれぞれのドラマが浮かび上がる。
この手腕の鮮やかさ!おもしれー!!
よすぎる!
ドラマがよすぎる!
ジャンルで言うならミステリー、だがそれ以上にドラマが、よすぎる!
よすぎる!
あまりのよさに2回言ってしまいました。
ドラマってのは人間ドラマね。
人間ドラマの読み取りはかなり受けての人間感や思想が滲むもので、わかってると思うけど、ここから(ここまでも)個人の感想。見る人が違えば全然違う見方、感想になるんだろうなと思います。
さて、ラストマイルではいくつかのグループが描かれる。
メインとなるデリファス西武蔵野ロジスティクスセンター、配送を請け負う羊急便、その下請けのドライバー親子、届け先の家庭の親子、あとは警察(MIU404)とUDI (アンナチュラル)。
ここで重要なのは、みんな最善を尽くそうとしていることだ。みんないい人で、それぞれの立場でよいことをしようと頑張っている。
しかし、それをつないで全体として見ると全然よくない。絡み合って歪な社会がある。最悪。
細かく見ていこう。
物語の初めは、爆弾事件に翻弄されつつ、「すべてはお客様のために」物流を止めまいと努力する姿が描かれる。連綿と続く日常の維持、それは経済活動の維持であり、生活を守ろうとする営み……のはずである。
しかし、そのために主役であるエレナは提携の羊急便を脅したり、部下の孔や上司の五十嵐、さらには警察をも理屈でねじ伏せようとしたり、とヒーロー的でない行動が目立つ。
さらにさらに容疑者の社員のデータを消したり、警察への通報を止めようとしたり、とエレナの怪しい行動が続く。溌剌とした先進的なリーダーに見えて、どこか違和感のある姿がある。
さっき「みんないい人」と言ったばかりだが、エレナは「ひょっとして犯人じゃないにしても悪い人間なのでは?」と思わずにはいられない。
この違和感はかなり劇的な展開を伴って解消される。僕はエレナは自分すら説得してしまうタイプの人と見た。悪いことに加担してると勘付きつつも、マジックワードで塗り替えてしまえる善人。爆弾事件がなければ「Customer Centric」なショッピングサイトデリファスをつつがなく運営する有能社員だったろう(それが真に善人かはわからないが)。
孔の「何が欲しいんですか?」に対する「全部」との答えも、やりとりのコミカルさもあるが、振り返るとエレナの満たされない気持ちや、自分のことがわからなくなっている(なんならわからなくしている)とも読み取れる。
エレナに振り回される孔もまた、わからない(わからなくしている)人間だろう。ブラック企業を辞め、倉庫でシステムの一部になることに満足し、それ以上は求めない。事件にも新しい上司にも立ち入らず今ある仕事こなして帰る姿からもそうした人物像が見える。
孔はかなり観客に近い(隠された思惑のない)人物で、それ故に孔が、見ている僕と同じように(=僕が孔と同じように)エレナを疑い、理解する一連がよすぎる。上手すぎる。
なんと、もっとよすぎるのがある。どうなってんだこの映画。
配送の末端であるドライバーの親子もまた、仕事に誇りを持つ父(火野正平)と、その熱量にはついていけない息子(宇野祥平)が、多すぎる荷物の前にすれ違っている。
初めの方の、息子に倒産した前の勤め先の話をさせるシーン。息子も父と同じように誇りを持って仕事をしていたが、倒産を経て諦めてしまっている様子が、数分のやり取りの中で読み取れる。
高齢の父は運送業に誇りを持っていて、それ故にたくさん、丁寧に働こうとする。逆に、中年の息子は諦めからも来るのだろうが、体への負担を気にして、程々に働こうとする。
父は諦めた息子を自身のやってきた仕事を通してエンパワメントしようとしており(その方法が適切かは検討の余地がありすぎるが)、対して、息子の方は「死んじゃったら元も子もないだろ」と父と健康に働くことを望んでいる(その気持ちは中々伝わりづらい親子関係なのだが)。爆弾事件の経過とともに、ここのすれ違いが解消されていくこのドラマもよすぎる。その中で出てくる「ラストマイル」、送り届ける最後の区間への誇り。これがタイトルになってる意味よな!(これは後で話します)
そして、息子が爆弾を処理するシーンが本当によすぎる!
息子が過去に誇りを持って作った洗濯機が、爆弾から息子やもう一つの家族を守るこのシーンの熱さ!会社は倒産してしまったけど、良い製品を作っていたという事実が過去から、息子に報いるんだよな!
よすぎるだろ!
もう長くて書いてる方も疲れてきてるので、ドラマについてはあとちょっとだけ。(なんとまだ書く気である)
羊急便も配送を待つ家庭もよすぎるのだが、ちょっともう見てる人はわかってると思うので飛ばして、ラストの展開について話したい。
重要なのはみんな悪くしようとなんて思ってないのに、流通のシステムは誰かを搾取しているという構造だ。それでいうと悪い人はいないがデリファスはずっと悪い。でもデリファスとそれに関わる労働者は悪くない。やっぱデリファスの上層部は悪い。でも断じることはできない。そこが難しいよね。
ラストはフィクションだからこそ、よすぎる
全ての真相がわかった後、山崎が止めたかったのは倉庫のベルトコンベアではなく、それが象徴する流通の、人を消費者や労働者のコマとして非人間化する構造だろうと推察できる。(ここは明確に語られてない…はず。言葉がかなり偏ってると自分でも思うけど、間違ったことは言ってないはず)
そうして、ドライバーや羊急便、西武蔵野ロジスティクスセンターが団結しストライキがはじまる。
この展開は正直フィクションかもなあ、と思うのは悲観的だろうか?冷笑的だろうか。
話はちょっと逸れるが、世の中ってよくならないんじゃないのか?と思うことがある。
基本的に世の中にはいい人がたくさんいて、進歩と共に便利な世の中になっているはず……なのに辛い人や苦しい生活はまだまだ存在する。
人々の善性が、最後の最後、ラストマイルで届いてないんじゃないか?
ラストマイルをつながないことが、システムを維持してしまってるんじゃないのか?
映画のラストは、ストライキによって賃上げを勝ち取るところで終わる。
それは山崎の届けたかった思いのラストマイルの一つの形だろう、そして同時に爆弾事件も筧なりのラストマイルだったのではないか。
だからラストシーン、エレナはサラに向かって「まだ爆弾はある」と告げるのではないか。
非人間的なシステムがあり、ラストマイルをつなぐ人がいる限り、終わることはない。
そんなふうに僕は受け取った。
それと同時に、
僕はラストマイルを担えるのか?と思った。
僕は怠惰で臆病だから、ラストマイルを運び切るのにすごく迷うだろうし、怖いし、なんなら諦めてしまうんじゃないかと思う。
もっと言うと自省を免罪符にして、荷物を溜め続けるかも知れない。そんなんでいいのか?
ラストマイルに限らず、このチームの作る作品はそんな弱気な人が迷いながら、ビビりながら信じたことをするから、すごく勇気をもらえる。実際同じようにできるかはわかんないけど……。
そんな感じで、鑑賞後は自省モードに入ってちょっと泣いた。
今はかなり立ち直って、ちょっと「そういう風に考えるのって、『自分こそがラストマイルを!』って自分の影響力をデカく見積もってるよね〜」と冷笑的なことまで思っている。
その考えは、それはそれで間違ってると思う。
僕のする仕事、遊び、何がラストマイルで、何を運んでるのかもわからないが、人と関わる時、人の善性を届けるラストマイルと思ってやってみよう、とか思った。
最後に、メタファー(?)もよすぎる。
書いたけど入れるタイミングを逃しちゃったので最後に置いておきます。
メインの舞台となる、ヒトとモノに溢れながら、その数に比べればずっと少ない人数で管理できてしまうオートメーション化された巨大倉庫がよすぎる。
止まることのないベルトコンベア、稼働率を監視するモニター、労働の場からガラス一枚隔絶した管理者の部屋、自社の広告を止まることなく映すテレビ。その全てが労働者の疎外された労働を思わせるのは、僕が左寄りだからだけではないはず。
思想は置いておいても、その全ては示唆的に映像中に現れる。
山崎が飛び込んでもなお、止まることのないコンベアは、一人の死をもっても止められない物流のシステムを思わせる。再び動き出したコンベアへの絶望と言ったら……!
自社と自身の正当性をかたる五十嵐(ディーンフジオカ)やエリナの側で、彼らを飲み込むようにある巨大な広告は、管理者である彼らも巨大なシステムの一部でしかないと言ってるようにも見える。
逆に、後半の稼働率ゼロの倉庫と、虚しく響くアラート音は、決断した人の前に無力な機械の風情を感じさせる。
ほんとにちょっとよすぎるわ。
また見に行きます。
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