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【短編小説】ルリ子

「サッちゃん、やめるって、ほんとに?」
アコーディオン弾きのおっさんが目ん玉丸くする。そんな気がしてた俺は、まあ仕方ねぇかとポケットウィスキーを口に含む。
 田舎の安キャバレーの楽屋にいた。営業だった。といっても、舞台に出れるわけもない俺たちには、これが本業かもしれねえが。
「殺生やなぁ。決める前に、相談してえな」
「おっさん、アホか。お前に相談したかて、何とかなるか」
「なるかならんか、相談してみんとわからんじゃろて」
「お前、こないだの温泉宿で専属にならんか言われて舞い上がっとったな。お前こそ、あほじゃ。あんな田舎の温泉宿、誰が専属になるか。馬鹿も休み休み言え」
楽屋でサヨコは立膝タバコで、おっさんに説教する。
「いや、あれは悪ぃかったがの。でも、なんじゃ、旅から旅で疲れるし、ええ話じゃと思うたんやがの」
「お前と一緒にすな!」
いっこう話が進まないんで、仕方ねぇかと声をかけた。
「で、いつまで一緒だ」
サヨコがこっちに顔をよこす。18という触れ込みだが、実はもう26だった。
「今晩。営業すんだらトンズラするわ。なんなら片桐さん。うちと一緒に来いへんか」
「急だな。俺は行かねえ。ま、勝手にすんだな」
「は。臆病もんが!」
言って、ビールの残りをがぶ飲みする。
「サッちゃん。それまずいって。契約一週間だし、
歌手がいなきゃ、場が持たねえよ」
「知るか。あたいは抜ける」
「抜けて、どうすんのよ。田舎帰るんか」
「うっさいおっさんやなぁ。山田興業に世話になる。邪魔せんといて」
 流石に驚いた。今、世話になっとる木村芸能とは、バックにいる組同士がシマで揉めてる。これはタダでは済まんか。
「あとで知らんかったとか言われるのもケタくそ悪い。言うだけは言っとくぜ。木村芸能と山田興業のバックが揉めてる」
「は。そんなん誰でも知っとるわ」
「ヘタうつと、ずたぼろブン殴られて、トルコ行き。覚悟してんだろうな」
間にいるおっさんは、俺を見たりサヨコを見たり、また俺を見たりサヨコを見たり忙しい。
サヨコは手にしたグラスをじっと眺めている。
「サッちゃん、やめた方がええて。考え直そ」
おっさんが言う。その声に怯えがあった。
「おめぇは、ひばりにはなれねぇよ」
「何だ、・・・あんなクソ餓鬼」
サヨコが呟いた。

結局、その夜サヨコは安宿に戻ってこなかった。
「片桐さんよぉ。サッちゃんのこと、事務所に連絡した方がええかな」
「したけりゃしなよ」
「サッちゃんいなきゃ、明日ステージ持たないよ」
へっ、ステージね。確かにステージだ。ご丁寧にミラーボールまでついてやがるし。
「俺は寝るよ」
人の人生まで責任持てるかよ。
おっさんは枕元の黒電話で、事務所と連絡をとっていた。

翌日、営業は中止になるかと思ったら、楽屋には四十がらみの年増女がやってきた。ミヤコと名乗った。
「あら、おっちゃん。暫く」
おっさんと女は顔見知りのようだった。
「なぁに。サッちゃん、飛んじゃったんだって?」
「そうなんだよ。昨日、営業済んだらドロンパ。参っちまうよ。でもまぁ、ピンチヒッターがミヤちゃんなら安心だ」
「任せなさいって。こちらは?」
「あ、片桐さん」
「どうも。橋本ミヤコと申します。今日からよろしく」
「姐さん。レパートリーは」
客からリクエストが来る。サヨコには歌えない曲があった。そういう時は、客から何曲か出してもらって、歌える曲をやる。だいたいでも知っておきたかった。
「なんでも歌えるわよ」女は言い切る。
おっさんが口を挟んだ。
「青江美奈から伊藤ゆかりまで、ミヤちゃんなら、なんでもござれさ」
「楽譜なくても適当に弾いてよ。歌うから」
「そりゃ、頼もしい」
話はそれで終わった。

ステージ終わりに、リクエストを訊く。一度目は「柳ヶ瀬ブルース」「ロコモーション」二度目は、「東京流れ者」
「はい。『東京流れ者』頂きました」
封切られたばかりの渡哲也の映画だ。チラと女を見る。
「はい。他にございますか」
今日、初めてその台詞を聞いた。客は今日見てきて、心に残ったのだろう。まだ世間ではヒットしてない。
「はい。他にリクエストございますか」
ピンときた。知らねえな。リクエストした客は、町の偉いさんか。他は遠慮して声を上げない。
「ほか、ございますか」
営業スマイルで女は続ける。
「何だ、歌えねえの」
空気が悪くなる。
「知らねえのか」
機嫌を損ねた客の声がする。
「お客様、あいすいま」
女に皆まで言わせず、ギターの前奏に入る。
女が驚いて振り向く。
おっさんがこっちを見て、首を小さく振る。おっさんも知らないらしい。

〽︎どこで生きても流れ者、どうせさすらい独り身の〜

「おお、歌えるじゃねえか。兄ちゃん、いい声してんな」
声の主は上機嫌になる。サビの「〽︎東京ながぁーれものー」で、声を合わせて歌いだす。
「すいません。お聞き苦しい歌で」
歌い終えて、頭を下げる。
女とおっさんも笑顔で拍手して、ステージを終えた。

「全く冗談じゃないわよ。出しゃばるんじゃないわよ」楽屋で女はおかんむりだった。「ああいう時は、ああいう時で、やり方があるのよ。出張っちゃってさ、次、やりにくくって仕方ないでしょうが」
「レパートリー聞いたぜ」
「そんな、歌えない曲、全部言えっていうの。馬鹿じゃない」
「まぁ、プライドに関わるか」
「そうよ」
怒りながらも、素直だった。
「おっちゃん。次のステージまで何分?」
「へ。ええと、30分かな」
「よし、充分。片桐さん、『東京流れ者』教えて。次は私が歌うわ」
ほう、さすがプロ。サヨコとは違う。

4ステージして、終わりになる。その後「東京流れ者」はリクエストされなかったが、女は4ステージ目の最後に自ら歌った。
楽屋に戻ると、男が二人待っていた。ひと目で筋もんとわかる。
「姐さん、相変わらずいい声で」
「何。なんか用?」
「いや、今日は姐さんじゃなくて、お二人さんに」
「そう。じゃ、あたしは先、帰るわ。お疲れ」
化粧も落とさず帰って行った。
「まあ、お座りくださいよ」
狭い楽屋になんとか座る。支配人が一度覗きにきて、二人を見て、会釈して出て行った。もう、こないだろう。
「サヨコのことなんですけどね」
「ああ、見つかりましたか」
おっさんが答える。
「それがね、山田興業さんとこにね」
「ああ、そんなこと言ってました」
年長の男が、睨む。
「困るなぁ。大事なこと、言ってもらわなきゃ。昨日、お話していただけませんでしたよね」
「いや、あ、すいません。急に出ていくとかで、気が動転して」
「お陰で、時間かかりましたよ、見つけるのに。お互い、隠し事なしで行きましょうよ」
「隠してたって、そんな。隠してたわけじゃないんです。ハッキリしなかったし。嘘かもしれないし」
「嘘かどうかは、こっちが判断しますって」
「曖昧なこと言ってーー」
「だから、嘘かどうかは、こっちが判断しますって。あんたじゃねぇんだよ!」
「はい。すいません」
テーブルに頭を擦り付けて、おっさんが謝る。ずっとその姿勢でいる。
「さて、さてさて片桐さん」
男が向き直る。
「片桐さんには、別件でお話が」
「何」
「この二年で、片桐さんと組んだ子、サヨコ含めて三人飛んでるんですけどね」
「そうかい。初耳だ」
「おかしくないですか」
「さあね。俺はそいつらじゃねえからな」
「知らない、と」
「とぼけんじゃねえぞ!」連れの若い方が、初めて喋った。
「知りませんけど」
「知らない、と。不自然じゃない、と」
「証拠でもあるんですかね」
「いや」
「ないんなら、じゃ、いいでしょ」
「よくないんです」
「証拠も証言もないんでしょ」
「ないですよ」
男は薄ら笑いを浮かべた。
「片桐さん。勘違いしてますか。あたしら警察じゃないんです。証拠も、証言も、何もいりません。いいですか、勘違いしちゃいけません。シロと証明するのは、あたしらじゃないんです。あなたが、それをするんです」
ああ、と思った。もう何を言っても無駄なんだろう。二人は、それをするためにやってきた。本当でも嘘でも、そんなことはどうでもいい。必要なのは、見せしめだった。
「ちょっと、付き合ってもらえますか」
男二人が立ち上がった。

「また、派手にやられたねえ」女が言う。
ゴミ捨て場に頭を突っ込んで気を失っていた。おっさんが引き起こして、水を含ませてくれる。咽せた。口の中も切れている。
「医者行かなきゃ」
「いや、いい」
「馬鹿。折れてるよ。おっちゃん、ちょっと支配人呼んできて」
おっさんが走っていく。
「大丈夫、支配人なら慣れてんから、うまいとこ連れてってくれるって」
意識が戻るにつれ、全身が火のように痛くなった。
女が側にしゃがみ込む。
「あんた、ほんとに手を回してないの」
「ああ」
「偶然だったら、凄いよね。二年で三人だよ。全部、あんたと組んで」
「してねえよ」
「ふうん」
「ああ、痛え」
女は少し考えてるふうだった。
「じゃあさ、三人に同んなじ話しなかった?」
「話か」
「ずっとドサ周りしてんだから、なんか話したんじゃないの」
「ああ、・・・したかもな」
「どんな」
「そうさな。・・・ずっと前だ。ど田舎の公民館で営業したんだよ。三人で。おっさんとは違うアコーディオン弾きと、それと女の子と」
「うん」
「で、ステージが終わって、客が出てったら、帽子があった」
「帽子ねえ」
「いてて。ちったあ手加減しろって。ああ痛てえ。でな、帽子は浅丘ルリ子が被ってたのと同んなじやつだった」
「へえ。ルリ子ちゃんねえ」
「映画で被ってたのと同んなじで」
「はは。洒落てんじゃない、そんな田舎で」
「なんとなく拾ってな、外で煙草を吸ってたら、落とし主の娘さんが現れたんだよ。あ、煙草あるか?」
あるよ、と女はバックをまさぐる。
「それで、帽子返したら、礼も言わずに言うんだよ」
「なんてさ」
「連れ出してくれって。こんな田舎から連れ出してくれって、泣きながら」
煙草を見つけて、一本出す。
「どうしたのさ」
「勿論、断った」
「話聞いてた子、どうしてって訊いたでしょ」
「ああ、三人ともそう訊いた」
「なんて答えたの」
「お前みてぇにしたくねぇからだよ」
「そう言ったの」
「ああ」
女は煙草に火をつけ、二、三回吸ってから咥えさせてくれる。
「その話を聞いた三人が飛んじゃったわけか」
「あんたも、同んなじだろ」
「言ってくれるわね」
ふふっと笑って、女も煙草を吸う。
「似てた?」
「何が」
「その子、浅丘ルリ子に」
「ああ。キレイな子だった」
「いいことしたって思ってる」
「どうかな」
「なんでそんなこと話したのよ」
「何でだろうな。わかんねぇな」
「もっと若い頃なら、あたしも聞きたかったかもしれないな、その話」
「そうか。あんた浅丘ルリ子に似てないぜ」
女に頭をこづかれる。
遠くからおっさんと支配人の駆けてくる足音がした。

            了


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