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憂しと見し世ぞ17【最終回】

 試合の日は快晴だった。ベンチをとび出す時、大野先輩が「榊。ガンバ!」と声を掛けてくれた。右手を包帯で吊っているが、表情は穏やかだ。みんなに任すって顔だ。自分の気持ちをしっかり整理して、私たちを送ってくれる。さすが大野先輩だ。走りながら、観客席を見る。黒田さんが、小学生を連れて応援に来てくれてる。吉田君はおっぱい星人の大木君と並んで手をふる。あれから二人は仲良しなったって聞いた。吉田君の表情も明るい。吉田君のお母さんはあの事件で警察でさんざん絞られたそうだ。今は毎日、ご飯を作って掃除をしてるらしい。ちゃんとやってるかどうか児童相談所の人が監視するって話だ。大丈夫かなって黒田さんに訊いたら、「人間ってえのは習慣だからな。毎日、飯作って息子に食わせてると、愛情もわくらしいぞ」なんて言ってた。吉田君の表情も明るい。私はみんなに手を振った。吉田君が両手で応えてくれる。そして、その隣には沢木。なんだかまぶしそうに私を見てる。
 整列して、いっちゃんが「沢木、譲るから」と小声で言った。なに?!って思ってる間に「礼!」のかけ声がかかる。私たちは後攻。みんなグラブを持ってグラウンドに散っていく。そうそう思い出した。あの事件の後、弟の大輔が私にこう言ったんだ。
「姉ちゃん。狙われてもいねえのに大声あげて逃げたってか」
 この馬鹿弟に、黒田さん直伝の肘打ちをお見舞いしたのは言うまでもない。
             了

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