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【昭和歌謡名曲集4】愛がはじまる時 風吹ジュン

風吹ジュン、22歳の時の楽曲である。「よろしく哀愁」と同じ1974年リリースの曲である。1974年、恐るべし。魔に魅入られたとでも言おうか、なぜ1974ばかり。

凄まじい歌である。レコードであれなら、生歌はさぞや・・・予想通りである。凄まじい。最早歌だか何だかわからない。でも、許された。可愛いから。

歌が下手で可愛いから許された同時代の代表的存在に浅田美代子がいる。彼女もすごかった。だが、ジュンには美代子にない、あるものが存在した。

茶髪である。

当時、茶髪は不良の証明である。ジュンは当時22歳なので、茶髪にしようが坊主にしようが、それはもう個人の自由だ。
だが、真面目な中高生に、茶髪はハードルが高い。
美代子ちゃんなら、レコード屋のおばちゃんと話せるのだ。
「あらぁ、この子、人気なんでしょ」
「そうです」
「歌、あんまし上手くないけど、可愛いわよね」
「そうなんです」
「清純そうで、おばさんも大好きだわ」
「そうですか」

これがジュンなら
「あらぁ、この子、茶髪なの」
「そうです」
「可愛いけど、茶髪だと、ファンて、言いにくいわね」
「そうなんです」
「悪いこと言わない。美代ちゃんにしときなさい」
「そうですか」
となる。

その後、ジュンは厳しい芸能界の荒波を乗り越え、今も映画にドラマに出演し、名バイプレイヤーとして確固たる地位をしめている。馬鹿ではできない。

今なら言える。あれは戦略だったのだ。そう、ジュンは日本のモンローなのである。

マリリン・モンローは賢い女性だったと言う。が、自分を売り込むために、赤髪をブロンドに染め、馬鹿な女を演じた。まんまと本当に知恵の足りない男どもは、モンローをセックス・シンボルとして崇め、次々と映画のオファーをした。
「七年目の浮気」の方が、実は虚像なのである。
映画スターとしては成功したが、果たしてモンローは、人生的に成功できたのか。難しいところでは、ある。

翻って、ジュンはどうか。彼女も危なかった。いわゆる白痴美的美女として(放送禁止用語だが、論を進める上でやむを得ない)、芸能界に登場した。その後、極貧家出ホステス年齢詐称の過去が暴かれ事務所移転のごたごたから誘拐までされ作られた虚像が剥ぎ取られていく。作ってあげといてどん底まで落とす、恐ろしや芸能界。
だが、ジュンは復活する。作られ暴かれた虚像を、新たな風吹ジュン像を魅せることで粉砕し、見事に蘇ってみせる。そう、「蘇える金狼」は、その記念碑的な映画だった。
 その後、年を重ね、ジュンは多くの実績を残し、今では普通のお母さんを演じるようになり、普通のお婆さんの域まで、あと少しである。

こうした感慨を、今の私は持つ。持った上で、「愛がはじまる時」を聞く。
やはり酷い。あってはならない曲かもしれない。
しかし、何も武器のない、か弱い女の子が、事務所の売れ線の口車に乗せられ、思い切りお馬鹿に歌ってくれ、と言われ、売れるためにそれを飲み、茶髪にし、見事世間に誤解され、それから、需要を切らさないようにしながらも、そうでありたかった自分に少しずつ近づいていく。素晴らしいではないか。まさに生きるドキュメンタリー、風吹ジュン。

そういう歴史的厚みも意識しつつ、私たちは「愛がはじまる時」を聞くべきなのだ。
そして味わうのだ。その歌としてのあり得ない下手さを。

改めて言おう。

何を知っても、凄まじく下手であることに変わりはない。

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