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【短編小説】うばすて

 おばあちゃんは赤ちゃんだ。なんにも一人ではできない。歩くのも、ごはんを食べるのも、おふろにはいるのも、うんちするのも、みんなお母さんに助けてもらう。ときどきいなくなって、夜中におまわりさんから電話がきたりする。お父さんは交番にすっとんでいって、おばあちゃんをカクホして帰ってくる。おばあちゃんがいない間、お父さんもお母さんもお姉ちゃんもみんながシンパイする。あたしだってシンパイする。でも、心のどこかに、このままいなくなっちゃえばいいのにってイジワルな気持ちもある。あたしってハクジョウだ。まだもーろくしてないころのおばあちゃんに、いっぱいいっぱいかわいがってもらったくせに、あたしはそんな思いを心のどこかに持っている。
 もーろくする前のおばあちゃんは、あたしにいろんなことを教えてくれた。あやとりとか昔の歌とか、そんなやつだ。小学校二年生のあたしには、もうどれもそんなにたいしたことじゃない。昔の歌より今の歌のほうが好きだ。ジャニーズとかけやき坂とかの歌のほうがだんぜんしっくりくる。おばあちゃんの歌はしょうわの歌よう曲で、ゆーじろーとかが歌ってたやつで。ゆーじろーがどんな人かしらないけど、正直あんまりいい歌じゃない。のろいし、おどれない。でもゆーじろーの歌を歌ってる時のおばあちゃんはしあわせそうだ。もーろくした今でもときどき歌う。同じ歌の同じところばっか、歌う。そんなとき、もーろくはこわいなあって思ったりする。
 おばあちゃんはお父さんのお母さんで、だんなさんは、ええと、あたしのおじいちゃんだけど、もうとっくに死んじゃってる。あたしが小学校にあがる前に死んじゃったって、お母さんが言ってた。だから、おうちにはぶつだんがあって、しらないおじいちゃんの写真がある。手を合わせるのはお父さんとかお母さんとかで、私とお姉ちゃんもときどきする。でも、おばあちゃんはしない。おばあちゃんは写真のおじいちゃんはじぶんのだんなさんじゃないと思ってる。
 おがませようとして、急におこりだしたこともある。みんなおばあちゃんのきげんが悪くなるのがいやで、だからおばあちゃんにおがみなさいなんて言わなくなった。あたしがいやでやりたくない時もあるのに、でも、あたしの時はゆるしてくれない。月めいにちとかで、まい月手をあわさなくてはいけない。みずしらずの人なのに、なんておがんだらいいのかあたしにはわからない。だから、ガマンしておがんだふりだけして、心の中で数をかぞえる。五つでは早すぎる。ゆっくり十数えてやめにする。かみさまでもないから、おねがいごとも言ってはいけない気がするし、お姉ちゃんとか、なにをおがんでいるのかきいてみたい。でも、そんなばかなこときくと、またお母さんに言いつけられるからだまっている。
 お母さんは前、はたらいていたけどおばあちゃんがもーろくしてから仕事をやめた。ずっとお母さんが家にいてくれるって聞いたときはうれしかったけど、家にいてもおばあちゃんのおせわばっかりするので、すぐにうれしくなくなった。自分の親でもないのに、よくおせわできるなあって思う。思うけど言わない。
「じゅんばん、じゅんばん。みんなじゅんばんに年をとったら、赤ちゃんにもどるんだよ」
 お母さんはあたしたちによくそう言う。お母さんはえらいと思うけど、でもかんしゃもされないのに、おせわだけするのはいやじゃないかなあって思う。私だったらいやだ。
 だからケイカクした。おばあちゃんをこっそり電車にのせて、どっか遠くの町においてこようって。そしたらお母さんも楽になるし、お父さんも楽になる。ちょっとかなしくなったりするかもしれないけど、すぐに忘れると思う。だっておじいちゃんの話なんてだれもしないもの。

 日曜日、お母さんが買い物にいくんで、おばあちゃんをちゃんと見といてねって言って出て行った。お姉ちゃんはいつものとおりスマホを見ながら、ふわあいと言った。中学生になってお姉ちゃんはスマホを買ってもらってから、スマホのドレイだ。いつだって見てる。そんなに楽しいものならあたしも早く買ってもらいたいけど、中学生にならなきゃだめだ。もしかしてお姉ちゃんのザマを見て、中学生になってもだめかもしれない。ギャハハって笑うお姉ちゃんはいつもゲヒンだって思う。
 おばあちゃんはいつもの通り、りびんぐのソファーにすわってぼんやりテレビを見てる。ほとんどハンノウはなくて、どの番組にしても同じ顔して見てる。今日こそケッコウの日だって思ってるあたしは、ちょっときんちょーしておばあちゃんに話しかけた。テレビの音がうるさいのか、お姉ちゃんはお母さんがいなくなってすぐイヤホンした。
「おばあちゃん。おばあちゃんて歩けるの?」
 おばあちゃんがあたしを見る。なんだかびっくりしたみたいな顔してる。おばあちゃんの「もーろく」は、さいきんずっと進んでる。
「おばあちゃん、一人で歩ける?」
顔は変わらない。でもいやがってる顔じゃなさそうだ。
「ねえ、ぼうけんしようよ、ぼうけん」
 よく見ると、おばあちゃんのしわは深い。よくまあこんなに深いってしわが顔じゅうに何本もついている。あんまり何にも言わないんで、おばあちゃんのほっぺをつついてみた。びくって首だけ後ろに引っこめた。
「あたし。ゆか。わかる?」
 おばあちゃんはあたしを見つめてる。
「おばあちゃん。ねえ、悪いって思わないの。毎日毎日お母さんにメンドウかけて。毎日だよ。ま・い・に・ち」
 ちょっとみけんにしわがよる。
「そう。悪いって思うことは思ってんのね」
 ますます目つきが悪くなる。
「おこったってだめ。こわくないもん。あたしクラスで一番せが高いんだよ。大きいの。四年生?ってよくきかれるもん」
 悪い顔になる。イジワル顔だ。どうやらあたしをテキだって思ってるらしいな。
「まあ、いいや。あのね、おばあちゃん、りょこうに行こうよ」
 りょこうの言葉にちょっとはんのうした。すかさずあたしは「よしひでさんが待ってるよ」って言う。よしひでさんって、おばあちゃんのだんなさんの名前だ。
「おばあちゃんは、よしひでさんがいなくなってから少しずつもーろくしたんでしょ。いつか、お父さんからきいたよ。じゃさあ、あいに行こうよ、よしひでさんに」
「……ヨシヒデサン」
 おばあちゃんがしゃべった。
「そう。会いにいこうよ、よしひでさんに。もうずいぶん会ってないんでしょ。ね。会いたい?」
 おばあちゃんは、ヨシヒデサンヨシヒデサンって何どもつぶやいている。
「立てる? 会いにいこうよ」
 待ってみる。あたしがおばあちゃんをかかえるなんてムリだ。いつもはお母さんに手をとられてそろそろ歩く。でも、今日はどうしても一人で歩いてもらわなきゃこまる。
 おばあちゃんのほっぺがちょっぴり赤らんだ気がする。ヨシヒデサンヨシヒデサンて言いながら、おばあちゃんは立ち上がった。お姉ちゃんはチラっとおばあちゃんを見たけど、すぐにスマホにむちゅうになる。
 あたしがつれてったと思われたらマズイから、あたしはへやを先に出て、ゲンカンでくつをはいて待っていた。ちょっと待ったら、ドアがあいて、おばあちゃんがそろそろ歩いてくる。あたしはゲンカンのドアをあけて、こんどは道路でおばあちゃんを待った。
 おばあちゃんはスリッパのままでゆっくり出てきた。ゲンカンとこのダンサでころぶかなって思ったけど、ゆっくりゆっくり足をはこんでころばなかった。なんだ。やればできるじゃん。そうだよね。ときどきハイカイするんだから、自分でゲンカン出られるよね。
 それからあたしは十メートルくらい先に行って、おばあちゃんがついてくるのをたしかめたしかめ歩いた。信号ではちょっとひやりとしたけど、ちゃんと赤信号でとまってた。
 うしろむきで歩きながら、小さいおばあちゃんを見てた。おばあちゃんはおばあちゃんなりにシンケンで、のろいけどいっしょうけんめい歩いてた。なんかこんなことあったっけ、て思った。ああ、ぎゃくだった。あのときはおばあちゃんとあたしがぎゃくだった。おばあちゃんがうしろ歩きして、あたしがよちよち歩いてた。おばあちゃんはめっちゃエガオで、手をたたきたたきしてあたしをはげました。なんだか急に思い出す、いろんなことを思い出す。

 駅まで行くのに、どう行こうか考えた。しってる人に会うといやだなって思った。せっかくのケイカクがばれちゃうもの。だから、人があんまりとおらないようなとこをえらんで歩いた。でも、駅が近くなってくると、だんだんにぎやかになってくる。いやだなって思ったけど、おばあちゃんはもうこの町も見れないんだって思ったら、にぎやかなとこ歩くのも悪くないかなって思った。 
 あたしたちはしょうてんがいのアーケードに入った。安いようふく屋さんがあって、元気のいい魚屋さんがいて、いっつもお客のいないお茶屋さんがある。スーパーの前には、いっぱい自転車がとまっていて、なんかチラシをくばってる人もいる。歩いてるひとはみんな早足で、みんななんだかやさしい顔で。そうだね、お買いものするって、わくわくするもの。心がわくわくうれしくなるもの。みんないさんでおばあちゃんの横をすりぬけてく。ゆっくり歩くおばあちゃんだって、なんだか買いものにきた人みたいだった。みんなのしあわせがうつっていって、おばあちゃんの足取りもちょっとしっかりしてきたみたいだ。
 八百屋さんの店さきには、まっ赤ないちごがならんでいる。パン屋さんの食パンは、今日にかぎっておいしく見える。やき鳥屋さんのいいにおい。おそばやさんののれんは、もう新しくしたらいいのにな。おばあちゃんは、立ち止まって、ゆっくり右を見た。それからゆっくり左を向いた。右にはお肉屋さん。メンチカツあげたてだって。左はなんかせともの屋さん。きっと昔、この店でおばあちゃんはお肉を買って、この店でおちゃわん買った。何百回も何千回も、このお店の前を通って、おいしいものいっぱい買った。
 おばあちゃんのやきうどん、おいしかったあ。おばあちゃんのおにしめ、おいしかったなあ。でも、もう食べられない。いいよ、おばあちゃん。よくがんばったよ。だからもう、おばあちゃんはよしひでさんとこ行ってもいいよ。
 おばあちゃんはもう、お買いものもできないし、お話もできないし、うんちだってひとりでできない。わたしだったらイヤだもの。なにからなにまでお世話になって、それが毎日なんてイヤだもん。
 あたしはおばあちゃんのことがだい好きだから。あたしはお母さんのこともだい好きなんだ。だから、おばあちゃんはよしひでさんとこ行ってもいいよ。
 おばあちゃんがまた歩き出す。少しはなれてたあたしは、おばあちゃんの横にならんで歩いた。

 アーケードをぬけたら、夕やけだった。知った人にはだれにもあわなかった。まっ赤な空がきれいに見えた。おばあちゃんの若いころって、きっとお空ぜんぶが夕やけだった。今はいろんなビルがたくさんたって、いろんなあかりがいっぱいあって、夕やけは、ちょっぴりしか見えないけれど、でも夕やけはやっぱり夕やけ。きれいだよねえ。あたしはおばあちゃんの手をそおっとにぎる。
 駅からは、お家に帰る人がどんどん出てくる。今から駅に入る人もいっぱいだから、おばあちゃんをかいさつ前の柱のかげに立たせておいて、あたしはいちばん安いきっぷを買った。わたすとすなおに受け取った。それで、おばあちゃんはきっぷをじいっとながめてる。
「きっぷ。わかるでしょ」
 まだじいっとながめてる。
「おばあちゃんはね、電車にのってよしひでさんに会いに行くんだよ」
「ヨシヒデサン」
「そう、おばあちゃんのだんなさん」
 うれしそうにうなづく。
「会いたい?」
 またうなづく。
「あのね、おばあちゃん。よしひでさんにあうにはね、電車にのらなきゃならないの」
 おばあちゃんはきっぷを見る。
「そう。きっぷをキカイにいれて電車にのるの。電車にのって、ずうっと遠くまで行くの。だってよしひでさんは、ずうっとずうっと遠くにいるんだから。だから、ずうっと電車にのってね、夜になって朝になってまた夜になってまた朝になって、ずうっと電車にのってなきゃつかないの。電車が行きどまりになったら今度は船にのって、海を三つもこえて、それからみなとについたらバスにのって、サバクについたららくだにのって、ジャングルだったらゾウにのって、ずうっとずうっと遠くまで、おなかがすいても行かなきゃだめなの。そうしないとよしひでさんには会えないの」
「ヨシヒデサン」
「そう、だんなさん。会いたいでしょ、おばあちゃん」
 おばあちゃんはきっぷをなでる。
「そう。大事なきっぷよ。なくしちゃだめよ。おなかがすいてもだいじょうぶ?」
 うなづく。
「もどっちゃだめよ。いっぺんはじめたら、もうもどれないの。それでも行くの。いい?」
 もう一度、うなづく。
 なんだか、あたしはかなしくなった。おばあちゃんのためにわんわん泣きたいような気持ちになった。おばあちゃんは、そんなあたしの気持ちなんかかんけいなしに、ゆっくりカイサツにむかって歩いていった。もうまわりは暗くなっていて、まぶしい駅のあかりにむかってくおばあちゃんは、黒いシルエットになっている。あたしは、あわてて「おばあちゃん」って呼びかけた。でも、もうおばあちゃんはふりむかなかった。「さようなら」うしろすがたにそう言った。
 おばあちゃんは、きっぷを持ってないほうの手で、首にかけた名ふだをはずした。じゅうしょと名前と電話ばん号が書いてある。ハイカイしてわからなくなっても、ちゃんと家にもどれるまほうのお名ふだ。それをはずして、道路にすてた。おばあちゃんがカイサツに入って見えなくなると、あたしは回れ右して走って帰った。
             了

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