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埴谷雄高の「死霊」のこと

あらかじめ言っておきます。全く読めてません。何かを期待している方は、ここでおよしください。


「はにやゆたか」である。「はにわゆたか」ではない。「死霊(しれい)」である。「死霊(しりょう)」ではない。
日本語には、こういうのは多い。「工場」が「こうば」と「こうじょう」、「草原」が「くさはら」と「そうげん」、「自然」が「しぜん」と「じねん」。意味するところ、イメージがまるで違う。書く時はルビをふるべきである。
「死霊」を「しれい」。普通、読めません。あの迷作「死霊の盆踊り」は「しりょうのぼんおどり」。誰も「しれいのぼんおどり」とは読まない。「生き霊」は「いきりょう」、「いきれい」を変換すれば「胃綺麗」となる。
 なのに、大学時代、「しりょう」とやって、大いに馬鹿にされた。"マウントとりたい奴ほど中身がない"の法則に従い、そいつもくだらないやつだった。
だが、馬鹿にされたまんまじゃ面白くない。それじゃあ読んでやろうじゃねえの、見返したろう、て読んだ。
しかし、挫折。なにしろ登場人物が三輪与志、首猛夫とか。与志も珍しいが、苗字が「首」って、北野武もびっくり。そんなやつおるかあ! なんでも「くびったけ」からきてるとか。そんなんでいいのか。ヒューマニズムが「(星)飛雄馬」みたいなのか。発想が梶原一騎と一緒か!
 興奮しても仕方ない。これは日本唯一の形而上学的思弁小説とかいう代物なのだ。わからん私が悪いのだ。「あっは」「ぷぷい」なんていうドラクエの呪文のような感動詞というか間投詞。「虚体」「自同律の不快」とか意味不明の独自哲学用語。頭が爆発しそうだった。筋も全くわからん。登場人物が何を問題にしてるかも全くわからん。
 埴谷雄高が死んじゃったとき、NHKが、その先の粗筋を紹介する番組をやった。最後はなんでも釈迦とかキリストとかもっと凄いのとか出てきて思想バトルを繰り広げる予定だったとか。まさかの「百億の昼と千億の夜」展開。光瀬龍も萩尾望都もびっくりでしょう。
私はいったい何を書きたいのか。
それはただひとつ。
ワシには一切わからんかった!

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