国語探究研究会

国語探究研究会において発表を伺いました。

高校生の不読率の問題と高校で長編小説を扱うことについての考察を話題提供として発表していただきました。

不読率の時間があれば本を読むのだろうかという、参加者の発言が私にとって気づきでした。無理やり読むのではなく、楽しんで読むものということになっていないのかもしれません。国語の授業で話を扱うほど、本から離れていくのかもしれません。評価されるために読む。読みを縛られるために読む。受験のために読む。こういった学びは、ChatAIなどでの自力学習にとってかわられてしまうかもしれません。それか、人間が持つスキルとして、鍛えるべき能力として果たして適切なのかという問題も感じました。

現在、読書が大切となっていますが、動画、Web、ChatAIなど様々な情報媒体があります。
本と言うのは、情報を得るための一つの選択にすぎなくなるのかもしれないなと思いました。

そもそも教科書が面白くないのかもしれないと思いました。全国一律に用意する以上、また、学校と言う場所の雰囲気づくりの関係もあるかもしれないのですが、所収の内容が、実用的なものと感じられないのかもしれないなと。実用性がまなびのすべてではないですが、貴重な時間を使って何をするかは大きな視点で考えられるべきもので、激変していくものなのだろうなと思います。
それ以上のSNS、ブログの充実が目覚ましい昨今。特に高等学校段階において、教室で、一律に一つの文章を読む意義は何なのでしょうか。やはり受験のためなのでしょうか。

また、現代文が現代文ではない問題も感じています。こころや舞姫、羅生門といった定番教材ももはや現代文と言えるのだろうかと思いました。
次に考えるのは、何を読むのがいいのだろうかということです。先に出た、一律に読む意義次第になるように思います。
多読に関する活動、特に自分で読みたいものを探す活動は魅力的だという話もでました。

次に、QFT活用して、生徒が質問づくりをする実践についても拝聴しました。
学習者が問いを作る活動。それに対して答え合う。QFTについてよく知らなかったので、勉強になりました。
問題意識を持つことは、これからも大事なことだと思います。当たり前を疑い、新技術に好奇心を示し、それを実施することが求められるのかなと思いました。
ゆえに、さらに問うて終わりではなく、問いを活動につなげてみたいと感じました。学習者の問題意識に起因した学習活動とそれに伴うUPDATEがなされること、大変楽しみな、価値あることであるように感じました。
人が集まる、「学校」だからできることを追求してみたいです。

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