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これまで出てきた社会課題を解決するビジネスアイデア(その1)

前回は「今の私をかたちづくるもの」として,PBL(Project Based Learning:プロジェクト型学習)にたどり着くまでを書いた。今回から2回に分けてダイジェスト的にここまで4年間の取り組みをふりかえってみよう。

2015年度(3期生)

これまでで最も勢いがあって,最も言うことを聞かなかった学年。時に人を追い詰めてしまいそうになる危うさもあったものの,結果を出すことに対しては最もこだわっていた学年。

言うことを聞かなかったのはゼミ合宿もそう。この年初めて韓国・釜山で合宿を行うことにしたが,半分以上が就職活動等を理由に来ないと言う。それは仕方ないと来れるメンバーと2年生(4期生)だけで参加。私自身はその直前に卒業旅行で北海道にいたため,遅れて釜山に行くという。海外でも現地集合・現地解散。

2015年印象的なプロジェクトその1は"Wepper"海外の薬を安心して服用できるアプリ開発

この年の印象的なアイデアその1はWepper。海外旅行で風邪や頭痛になっても現地の薬を購入して飲むことが難しい。もちろんその逆も然りで,市販の薬のデータを集めてバーコードだけで成分を翻訳するというアイデア。

今であればある程度見本を作ることも自由にできるのだろうが,当時はまだまだそこまでできなかった。アプリ開発できる人も,アイデアを形にすることもできなかった。

2015年印象的なプロジェクトその2は"Waiter"飲食店の行列待ちを解消するアプリ開発

2つめはWaiter。今では飲食店でもタブレットを活用した行列管理が行われているけれども,当時はまだ珍しかった。タブレットで希望を入力し,座席が空き次第,メールで通知されるというもの。今では某R社がレジとともに提供しているサービス。このプロジェクトメンバーが素晴らしかったのは,社会課題がどこにあるかを街に出てヒアリングしまくった行動力。そこで出てきたのは小さい子どもを育てている母親の一言。

働くにも子どもが熱を出したら仕事を休まなければならない。何時に診察を受けられるかわかるだけでも全然違うのに…。

当初は病院でこのアプリを使えればというアイデアだったが,なかなか入り込むのが難しく,思案の結果,飲食店の行列待ちアプリに。実際にいくつかの飲食店の行列を観察し,パンフレットを作って営業もしたし,アプリの見本も専門学校生に依頼して作ってもらったし,クラウド・ファンディングで資金集めもしようとした(うまくいかなかった)。

このアイデアは後に私がお手伝いする専門学校用の問題発見・解決を教えるテキストにも活用された。

2016年度(4期生)

創Pが大敗北に終わった4期生。これまでで一番できない期生だった。どこか引っ込み思案で形にしていくステップに進まない。そんな中で無理矢理担当者とつなげてプロジェクトを形にしてしまったのが孤食プロジェクト

当時はこどもがひとりで食事する=ぼっち飯が問題になり始め,各地にこども食堂ができ始めた時期だった。何も孤食の問題はこどもだけでなく,大学生にも社会人にもあって,その弊害を調査することから始まったプロジェクトだった。

孤食問題から食事をすることの楽しさを。絵本を読み聞かせして,絵本に登場するパンを親子で作るイベントに。

試行錯誤,ピボットを繰り返すが前に進まない。そこで,本学図書館から転職した職員さんが務める書店がカフェやパンの販売を行っていたことから,強引につなぎ合わせてイベントを開催することにした。

これが大盛況。子どもたちだけでなく,親御さんまでニコニコ。自信なさげだった学生も,1つ形にすることで自信を持てたプロジェクトになった。

プロジェクト前期をふりかえって

プロジェクト初期は自分にとってもインプットの時期で、指導もコンセプトを欠いていた。まだ現在のようにプロジェクトを形式化していく知見を集約したテキストというものがほとんどなく、リーンスタートアップや、プロトタイピングといった言葉をもとに試行錯誤しながら指導していた。それでも経営学や会計学というものが社会との接点なくして成り立たないという信念はあったから、関わって頂いた方から評価を頂けたことは私の自信にもなった。

ただ、成功させることが果たして学生にとって良いことなのか、失敗することを認めないことが正しいのか。実は4期のプロジェクトの中にはイベントを作り込んで参加者募集をしてみたものの、参加者を集められず失敗に終わったものもあった。が、その後のふりかえりで彼女たちはその経験から学んだことを言語化して話をしてくれた。

成功させること、何かの到達点に達すること=他者が定めたハードルを越えることがアントレプレナーシップを身につけることにつながるのか。実は自分との闘いなのではないか。内省を通じて自分の行為を自分で腑に落とす作業が大事なのではないか。そうしたことを考え、実践してきたのかもしれない。

自ら機会を創り出し、機会によって自らを育てよ

これを指針としてどう実行していくのかが見えてきた期間がこの時期だったのかもしれない。

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