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祖母

幼稚園へ通う時に母方の祖母宅へ引っ越す。
そこには高校2年の途中まで住んでいた。

一緒に住んではいたが祖母についてもあまり詳しい事は知らない。
見た目はかなり年寄りに思えたが、私が幼稚園だった頃はもしかしたらまだ50代だったのかもしれない。

小学中学時代は自宅として連絡先にしてあったが自宅という感覚はない。
後に聞いたら兄もそうで、どちらかというと居候感覚だった。

祖母から見ると3人の孫が同居していたが可愛いのは三男だけ。
私と兄は名前を呼び捨て、弟だけは「○○ちゃん」とちゃん付け。
声のトーンも1オクターブ高くなる。
嫌われてはいなかったが可愛がってもらったという記憶もない。


祖母は何事にも極端な性格をしていた。

夕食で「これ美味しい」と一言でも言おうものならずーっとそれが続く。
1週間のうち3~4日は出る。
それで数十年間ハンバーグが食べられなくなった。
小学生の数年間で一生分のハンバーグを食べたような気がする。
今は自分で作ったハンバーグなら食べる。

母親も同じなので食べたものの感想は絶対に言わない。
例えば
「この店のバウムクーヘン美味しいね」
と言うとバウムクーヘンなら何でも大好物だと変換して記憶する。

違う、そうじゃない

好物でも毎日のように食べたいわけではない。
というのを2人とも分かっていない。
しかも一度記憶してしまうと上書き修正してくれない。
ずーっと何年もしつこくバウムクーヘンが好きと言われ続ける。
先日も旅行の土産がバウムクーヘンだった…
どうして石垣島へ行って東京のバウムクーヘンを買って帰る…?

嫌いなものに関しても同じ。
一度食べなかっただけでその後の何年もずーっと
「○○はこれが嫌いだから」
「○○はこれ食べないからね」
と言われ続ける。
母親のしつこい性格は祖母似。


祖母の作るカレーは豚の三枚肉(バラ肉)だった。
坂の上にある精肉店へおつかいに行ってたから覚えている。
「三枚肉○○○グラム下さい」

あるカレーの日、その時はあまり肉が食べたくなかった。
カレー皿に入れる時
「あまり肉を入れないで」
それ以降カレーは三枚肉ではなく挽肉になってしまった。
「○○は肉を食わねぇからよぉ」
カレーの時は必ず言われるようになる。

会社の昼食で兄から
「ばあさまのカレー作ってくれよ」
とリクエストされた時は挽肉カレーと決まっている。
キーマカレーではなく普通のカレーで豚挽肉を入れる。


祖母の用意するおやつといえば蒸したサツマイモ。
たまに手作り饅頭。
その時は坂の下にある餡子屋へおつかいに行く。
おはぎを作る時も行ってた。
待っている時に餡子を作っている作業を見ているのが楽しみで餡子屋は率先して行ってた。

サツマイモや饅頭のおやつはあまり好きではなかった。
サツマイモはほとんど食べた事がない。
それでおやつを自分で作るようになった。
近所にあるパン屋さんではサンドイッチを作る時に落としたパンの耳が50円で袋詰めにして売っている。
それを買ってきてフライパンで揚げ焼きにして砂糖をまぶす。
たぶんこれが初めて作った料理。

ホットケーキが好きで弟の分と一緒に焼く事もあった。
牛乳が冷蔵庫に常備されていなかったので、ないときは水道水で作る。
バターもないので普通のサラダ油。
それでも蒸したイモより美味しい。

そんな祖母だが手打ちうどんはよく作っていたので手伝う事もあった。
小麦粉に水と塩を入れてひと纏まりになったら袋に入れて足で踏む。
その足踏み作業を手伝う。
その後麺棒で伸ばして包丁で切って茹でる。
麺の太さが不揃いな武蔵野うどん。
まだ自分でうどん打ちはしていないがたぶん作れる。