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雑記(三九)

 今年五月に出た川本千栄の歌集『森へ行った日』(ながらみ書房)に、こういう歌があった。「知らぬ間に五分の一が過ぎている二十一世紀もう初頭でもない」。たしかにそうだ。まさに今世紀の五分の一が過ぎようとする二〇二〇年の末には、そんなことに思いをはせる余裕はなかったような気がする。過ぎてから気づいたのだ。二〇二一年も、同じように過ぎてゆくのだろう。

 前世紀で言えば、一九二〇年は国際連盟発足、尼港事件、森戸辰男筆禍事件の年だった。一九二一年は、原敬暗殺、安田善次郎暗殺、志賀直哉の『暗夜行路』、「明星」廃刊、ドイツではナチス党結成、中国共産党結成、魯迅の『阿Q正伝』の年。こうして並べてみれば、二十世紀初頭の印象をまだまだ重く引きずりながら、しかし二十世紀半ばの激動へ、確実につながってゆく二年であったと見える。

 ようやく二十一世紀の五分の一が終わり、二十世紀を冷静に眺められるようになってきた感もある。今年九月に出た三浦雅士『スタジオジブリの想像力』(講談社)は、特にアニメーションの分野に注目しながら、次のように書いていた。「いまや二十一世紀も五分の一が過ぎてしまったわけですが、二十世紀に生み出された作品が、その生命力を立証するようにさらに新しい作品を生み出すというかたちで、二十一世紀のアニメーションもまたたいへんな勢いで発展しています」。やはり、二十一世紀の五分の一、という言い方をしている。

 この箇所を含む「第一章 絵より先にアニメがあった」は、アニメーションが視覚芸術史上において持つ意義の重大さを力説する。ルネサンス以降の西欧の絵画は、「マニエリスムあるいはバロック、ロココ、ロマン主義、写実主義、印象派」のいずれも、「いまにも動き出しそうな」ということを基本に持っていた。その意味で、これらの絵画は、アニメーション的だというのである。だから、「文字通り現在の一瞬を切り取って描いてみせた印象派絵画と相前後して写真が登場し、さらに映画が登場することになるわけですが、アニメーションという考え方を中心に据えると、絵画、写真、映画という、いまでは切り離して考えることが常識になった表現領域が、動きへ向かって連続する一本の線になる」ということにもなってくる。

 今にも動き出しそうであるという性質はたぶん、中国や日本の絵巻物や障壁画にも認められるのであろう。静止した画面を前にして、それを見る者たちは、水面にひろがってゆく波紋、風に揺れる木々、足早に去ってゆく人々の様子を、まさに動画として想像していたに違いない。そうでなければ、たとえば須磨の光源氏が、屏風の絵を夢中で眺めていた理由がわからない。この二年近く旅行を控えて過ごしながら、画集や写真集で各地の風景が楽しめた理由も、である。

お気持ちをいただければ幸いです。いろいろ観て読んで書く糧にいたします。