見出し画像

雑記(三六)

 家族や友人を亡くしたひとは、しばしば、今でもあの場所に行けば、あのひとに会えるような気がする、などと言う。死者について語るときの、常套句と言ってよい。

 使い古された言い回しだからと言って、実感がこもらないわけではない。むしろ、誰もが実感を込めて言うことができるからこそ、言い古されるようになったのだと考えるべきだろう。

 村上春樹の小説「ハナレイ・ベイ」では、「サチ」という女性の息子が、カウアイ島のハナレイ湾でサーフィンをしていたとき、サメに襲われて死ぬ。日本でその知らせを受けたサチは、すぐに同地を訪れることにする。息子は十九歳だった。二〇〇五年の短編集『東京奇譚集』(新潮社)所収、初出は「新潮」の二〇〇五年四月号である。

 サチは飛行機を予約してホノルルへ向かい、カウアイ島の警察署で「片脚を食いちぎられた息子の死体」を見る。警官の案内にしたがって遺体を火葬し、その灰を持ち帰ることにする。翌日、火葬をすませたサチは、息子が死んだハナレイ湾まで車を走らせ、息子の泊まっていたホテルを訪れ、その後は毎年、三週間ほど、日本から同じ時期にハナレイを訪れることになる。

 十年以上が経ち、サチはハナレイの町で、日本人のサーファーの若者二人組と親しくなる。サチがレストランでピアノを弾いていると、二人がやって来る。やがて、そのうちのひとりがサチに訊ねる。「おばさん、ここで片脚の日本人のサーファーって見ました?」。

 サチは「片脚の日本人のサーファー?」と聞き返し、「いや、見なかったわね」と答える。その若者によると、片脚のサーファーは「ディック・ブリュワーの赤いサーフボード」を持っていて、右の脚の膝のあたりから下がなかったという。そして間違いなく日本人で、日系人などではなかった。

 これらの特徴は、死んだはずのサチの息子と共通しているようだ。最初にサチがハナレイに来たとき、ホテルにいた「黒髪」の「白人」は、息子の使っていたサーフボードのことをこう紹介していた。「鮫のやつに齧られて、ぎざぎざに……ふたつに裂けちゃってるけどさ。ディック・ブリュワーの古いやつ」。また、サチが息子の死体を見た場面には、「右脚が膝の少し上のところからなくなっていた」とある。サーフボードのブランドと、右脚の欠損。この「片脚の日本人サーファー」は、サチの息子のことなのではないか。

 サチにこのことを告げた若者は、サチの息子の死について知らないはずだ。そのせいでもあろう、サチはこの「片脚の日本人のサーファー」の目撃情報が、いたずらや嘘であるとは考えない。それから毎日、朝から晩までビーチを歩きまわるのだ。息子がまだ、近くにいるのではないかと思ったのだろう。

 すでにこの世のどこにもいないはずの死者が、ここではないが、離れた場所にいるという情報がもたらされる。それを聞いて、思わず平静を失う。そういうことは、家族や友人を亡くした者にとって、典型的な経験なのだろうか。

 そう考えてしまうのは、よく似た内容を持つ作品を残した、伝説的な歌人の名が残っているからである。柿本人麻呂である。

お気持ちをいただければ幸いです。いろいろ観て読んで書く糧にいたします。