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雑記(一五)

 二月二十九日。いわゆる二・二六事件の行動開始から四日目である。この日の朝、清原康平は、三宅坂に兵らを集めて、言った。「われわれは国家のため最後の一人になるとも昭和維新を実現するつもりだったが、腰抜けの一部の同志の裏切りで崩れようとしている。現在残っているのはわれわれ第三中隊と第六中隊だけである」(松本清張『昭和史発掘8』文春文庫)。

 残っているのは第三中隊と第六中隊のみ、という。その第六中隊を率いていたのは、安藤輝三である。安藤は、決行前は襲撃にきわめて慎重な姿勢をとっていたが、行動開始後は、最後まで強力に抵抗した。二十六日には侍従長・鈴木貫太郎への襲撃を指揮し、後に料亭「幸楽」に立てこもり、二十九日に山王ホテルに移っている。

 このときの安藤の部隊の様子を書くにあたって、清張は、奥山粂治軍曹の手記から「要点をとる」。それによると、午前二時頃に「幸楽」から山王ホテルへ移動した部隊は、「第一小隊が階下の食堂、軽機分隊が表玄関、第二小隊が二階と三階、機関銃隊が屋上、指揮班が階上」と配備を決定した。「各部署ごとに死守せよ」という命令だったが、「それぞれホテルの備品や什器を利用して警備態勢を整えたので、各階の連絡が思うようにならなくなった」。その状況が、不安を増幅させたらしい。

 交代で仮眠をとっていると、「五時ごろになって突然どこかで攻撃のラッパが鳴りひびいた。間違いなく攻撃ラッパだった。よく聞えた。ラッパは何回となく繰り返された」。奥山は自身の分隊の全員に配置につくように命令したが、「どの顔もすこし蒼ざめているようだった」。他の階との連絡がとれなくなっているため、他の分隊の様子もわからなかった。

 その不安を、奥山はどう解消しようとしたか。「しばらくして中隊長から、先方が攻撃してきても、こちらからは発砲するなという厳命がきた。覚悟をきめ、攻撃してくるのを待った。兵隊の顔が蒼ざめているので、これではいかんと思い、全員で『佐渡おけさ』を唄うことにした。二回ほど繰り返すと、分隊員の顔に赤味がさしてきた。気持が落ちついたのであろう」。分隊を不安と恐怖から救ったのは、合唱であった。

 ジョーセフ・ジョルダーニアの『人間はなぜ歌うのか?』(森田稔訳、アルク出版)を読むと、山王ホテルに響いた「佐渡おけさ」の合唱の普遍性を感じることができる。ジョルダーニアが紹介するのは、ロシアへの抵抗運動を指導していたイマム・シャミーリという人物が、圧倒的な人数のロシア帝国軍に包囲されたときのことである。シャミーリは、危機的な状況下で突然、伝統舞踊を歌い、踊り始め、やがて全軍がそれに参加した。そのテンポと熱気が最高潮に達したとき、シャミーリは剣を抜いてロシア軍に襲いかかり、包囲を突破したという。

 ジョルダーニアはさらに、「多くのアメリカ兵士がヘビーでリズミカルなロック音楽を聴かなければ、命令を受けた戦闘に立ち向かえなかったと、告白している」という事例をとりあげ、こう述べる。「戦闘部隊がミッションの遂行に向かうときに、彼らがみな協同の力を感じ、互いに全面的な信頼を置いていることが普遍的な事実であることに読者は同意してくれると思う。この感覚の所以は「集団的同族意識」、「戦闘トランス」にあって、リズミカルな音楽と舞踊が兵士たちをこの状況に追いやる最良の手段なのである」。そして、「リズムに乗って大声で歌うことの中心的な機能は、われわれの遠い祖先たちを特別に高揚した精神状態に置くことであった」。

 人間は、肉食獣から身を守る能力において、他の動物種よりも劣っている。走るのも遅ければ、歯や角などの攻撃能力も弱く、隠れるにしても二足歩行は不利である。しかもそれらの能力は、時とともに衰えていった。それでもなお人間が生き延びることができた理由は、大声をあげて相手を威嚇することを防御の方法としたためであり、「戦闘トランス」を獲得したためである、というのがジョルダーニアの主張の中心である。そこでは、音楽的な活動は非常に重要な意味を持っていて、「石器は、もともとは活発な〝ドラム・セッション〟であったものから偶然生まれた副産物であったと考えている」とさえ書かれている。

 死ぬ覚悟はあるか、と問われて即座に「はい」と答えることも、皆で声をあわせて「佐渡おけさ」を歌うことも、言葉の呼吸感覚を共有し、違和感をそぎ落としてゆく行為である点は同じであろう。言葉が音声を伴って発せられるとき、それは自分を酔わせ、相手も酔わせる、酒や薬のようなものになる。言葉が、論理的な議論をかさねて妥当な結論を導出する手段となるのは、言葉の意味や用法が厳密に規定され管理された場合のことで、それはむしろ特殊な状況であろう。

 だからこそ、言葉によってもたらされる感動には、警戒しなくてはならない。同じような意見を持つ者にしか伝わらず、意見を異にする者に対しては説得力を欠くような文章、同類の者たちの間の結束を強めるためだけに有効な言辞は、アメリカ兵のロックや帝国陸軍の「佐渡おけさ」と、いくらも変わらない。

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