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US圏セレブのBLM/アジア系差別プロテスト、その運動文化について

 西洋で増加するアジア系ヘイトクライムに対抗する #StopAsianHate ムーブメントが米国でも広がっています。同様の運動に参加したリアーナについてツイートしたら「BLMと違ってセレブは全然アジア系差別について触れていない、黒人と違ってアジア系は軽視されてる」とする反応が散見されたので、それについてざっくり書きます。セレブリティ定義は、あくまで「米国市場で人気のあるセレブ」とします。

 結論から言うと、#StopAsianHate を発信するセレブリティはいます。大坂なおみ、クロエ・ジャオ、サンドラ・オー、ミンディ・カリングなどアジア系ルーツの著名人が目立ちますが、米国でそうした印象を持たれていないアリシア・キーズ、ヴァイオラ(ヴィオラ)・デイヴィス、エイヴァ・デュヴァーネイ、シェール、ジェシカ・チャステイン、ションダ・ライムズ、ジョン・レジェンド、カーディ・B、ファレル・ウィリアムス、ブリー・ラーソン、マーク・ラファロ、リアーナ、レブロン・ジェームズ等も声をあげているし、情報が拾われにくい領域では、たとえばアリアナ・グランデやベラ・ハディッドがInstagram Storyにそれにあたる画像を投稿してたりしています。メーガン・ジー・スタリオンは活動家と連帯して寄付も行いました。個人的な印象として、非アジア系(とされがちな)メンツは、普段から外圧/世間体にならって社会問題について発信している雰囲気を感じさせない「熱心な活動家タイプ」が多い印象です。たとえばパレスチナにルーツを持つベラ・ハディッドは、アメリカ芸能界で避けられがちとされる同国とイスラエルの問題にまつわるプロテストに参加したりしています。

 確かに、2020年BLMムーブメントのほうが、支持を表明する人気セレブリティや大企業が(現時点では)多かったでしょう。しかし、違いとしては「当時のBLMでは人気セレブリティたちに対して"賛同表明せよ"といったプレッシャーが(主にSNSを通じて)かけられていたこと」。だからこそ「活動家タイプ」にあたらない大勢のセレブたちも、ある程度「世間体にならって」支持を表明していったのではないかと思われます。20年以降「BLMを期にこれまで政治的発信をしなかったことを悔いた」と語るハリー・スタイルズのような白人スターも見られます。

 しかしながら、ポイントとなるのは、以下2点です。

・2010年代前半には「セレブがBLM支持を示すとキャリアが危うくなる」リスクも存在していた
・US市場でキャリアを築くセレブリティや大企業が「米国内で意見がわかれる政治意見」を発信するようになった契機はBLM

 詳しくは『BLACK LIVES MATTER: 黒人たちの叛乱は何を問うのか(河出書房新社編集部 編)』寄稿「二〇一〇年代のポピュラーカルチャーとBLM」にて書いたのでそちらをチェックしていただきたいのですが……

 BLMが拡大した今でこそ、日本の状況からしたら「有名人も大企業も果敢に人種差別プロテストする国」みたいに見えるアメリカ合衆国、およびそのエンターテインメント市場ですが、大雑把に言えば、BLM運動が広まった2013年ごろは現状とは異なっていました。わりかしスター個人個人が自由な音楽産業はともかく、まとまりの強い映画業界トップ圏では「監督やキャストがBLMプロテストを行ったためにアカデミー賞レースから実質脱落させられた事案」が報告されています。2014年に公開された『グローリー/明日への行進』です。マーティン・ルーサー・キング牧師を描いた本作は同アワード賞最有力とも謳われていましたが、ノミネーション時点で作品と主題歌、たった2候補にしか入らない逆サプライズ。とくにエイヴァ・デュヴァーネイの監督部門漏れによってアカデミー賞への人種、性差別疑惑が強まった事案です(これが #OscarSoWhite ムーブメントを強化した流れ)。

 「オスカー(受賞のための)キャンペーン本格開始地点」であった同プレミアが行われたのは、エリック・ガーナーの生命が奪われた年でした。そのため、監督とキャストは「I Can't Breathe」シャツを着て実質的BLM運動を行ったわけですが、この選択が一定数のオスカー会員から顰蹙を買ったのです。後年、主演デヴィッド・オイェロウォと監督デュヴァーネイが語ったところによると、オスカー会員から怒りの連絡が複数届いたよう(当時の業界紙THRでも怒る会員の言葉が掲載されていた)。

「アカデミーのメンバーがスタジオやプロデューサーに連絡をよこし、『なぜあんなことができるんだ?なぜ奴らは事態を引っかき回すんだ?』、そして『あの映画には投票しない。なぜなら、彼らはあんなことしていい立場にないんだから』と言いました。人々があの映画が獲得すべきだったと思ったものを何も受賞できなかったのは、それがひとつの理由ですよ」
引用元:;https://front-row.jp/_ct/17368121

 BLMプロテストによる「オスカーレース頓挫」により、デュヴァーネイ監督はスタジオの人たちから「貴方はあれをやるべきではなかった」とささやかれる(遠回しに非難されるような?)立場にまで置かれたというのです。

 それが6年後、「BLM賛同を示さないセレブは外圧をかけられる」ほどに環境が変化した要因はなにかというと、2010年代を通してBLMの活動家たちがセレブリティや企業群に「運動について発信せよ」と促しつづけた継続的戦略があると報道されています。私見ですが、米国のエンターテインメント界には、おおまかに「大企業やスターが"安全"に賛同できる社会的(とされうる)意見」と「賛同リスクある世論がわかれがちな社会問題」の2つが存在すると考えています。前者の代表例はNFLスーパーボウルハーフタイムショーで定番となっている「世界平和祈願」とか「米軍の人々への感謝」でしょうか。2021年にはジャスティン・ビーバーがアルバム『Justice』にキング牧師の演説音声を挿入して批判も呼んだりしましたが、この件にしても「キングが"企業的"に安全な活動家になった証」と評されていたりします(2019年テイラー・スウィフト「You Need to Calm Down」におけるLGBTQフレンドリー的姿勢も同様の評され方をされていた)。「女性エンパワーメント」程度のフェミニズムも今では"安全"枠となっていますが、2010年代初期には女性ポップスターすら「フェミニスト」自称を避けていたことは拙著『アメリカン・セレブリティーズ』レディー・ガガ章で書いた通り。これら"安全"イシューに反して、BLMはいまだに米社会で賛否がわかれるため後者寄りなわけです。そのため、2010年代、同運動のアクティビストは「世間体にならって社会問題に触れるかどうか決める」タイプのセレブリティ、企業にアプローチをかけていった。その成果もあって、現状の「BLM賛同する人気セレブが多数派」状況に到達したわけです。近年「これまで"安全"な社会問題にしか触れてこなかった米国大企業が果敢に政治的発信をするようになった」と話題ですが、この潮流の大きな契機といえば、Nikeのコリン・キャパニック起用キャンペーン、つまりはBLM関連なわけです(2014年から2020年にかけて白人層BLM支持率が上昇したことが大企業群の姿勢変化の大きな要因ともされますが、それについては下記の河出書房ムックで)。2020年時点のセレブへの直接プレッシャーに関しては、運動幹部というより、増えに増えた賛同者が主にやっていた印象ですが。当時はすでにスターや大企業の賛同スタンスが普通になっていたので、著名活動家のあいだでは賛同企業の実態的な取り組みを促す段階が強調されてた記憶があります。
 今回の #StopAsianHate にまつわるセレブリティの動向、その数に対する疑問、「BLMと比べて少ない」反感には答えられていないかもしれませんが、そもそも今では当然のようにもうつる「現行の反人種差別ムーブメントに大勢の人気セレブリティが賛同/参加する文化」そのものをBLMが培った/再強化した面がある、という話でした。

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