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志存高遠                目標は高く持て その12

実はその新聞社は、経済系の新聞社。

僕は「勉強するためには千載一遇のチャンスだ!」と思った。

だけどね。
家庭を持って、子供もいた。

1人で決められる給料ではない。

確かに、当時の大卒初任給よりも僕の初任給は3万円高かった。

でも、奥さんは社内結婚だったから、その給料が普通だと思っていたし、半年後には19万円に給料を上げたから(実力でね)、また新卒の給料に戻るけどいいですか?と聞きづらかったなあ。

それに、前職は商社の営業課長として、当時26歳で28万円弱くらいの月収をもらっていたから、月の収入だけでも12万円、年収では200万円以上減る。
トホホ・・・・・。

なんて言おう。

帰り道が遠かったこと。
3男が生まれたばかりだったしね。


でもね、意外にあっさり「いいんじゃない?やりたかった仕事でしょ?兄貴の紹介だし。断るのもかわいそうじゃない?」って。「その代わり給料上げてよね!」って。

「はい!」って答えて、広告部の責任者に「課内にも了承を得たのでお世話になります!」って電話を入れたら、喜んでくれて、当分は本社勤務ってことになった。まずは広告営業で結果を出してくれって。

商社マンだったからね、営業は好きではないけど苦手ではない。

まずは「町の特集」を任された。

新聞の下の方に、町長のあいさつ文があって、町の企業の広告が並んでいるくだらない広告枠があるでしょ?あれ普通は代理店がやるんだけど、本社がやる特集もあって、なぜそれを担当させてくれたかというと、町の記事を書くのもやってもいいよということだったんだ。最初は、本当に田舎の小さな町ったけど、今まではアポイントとって訪問する営業しかしてなかったんだけど、そんな余裕はないし、電話で広告をとるのは代理店がやるから同じに思われて断られるだけ。

だから新聞と企画書を持って、読者を中心に、あたかも日頃のご愛読のご挨拶に来ました見たいな顔をして、ローラー作戦。

僕は東京の商社で鍛えられたから、たぶん「丁寧な奴が来たなあ」と珍しかったんだろうね。

まして、新聞社の名刺って、アポなしでも社長が出てくる。
これには驚いた。

それに、僕の担当エリアは、かなり有名な工業地帯。

工業系は強いのが僕の取り柄。
話題は尽きない。

だから1日20軒回れるかどうかだったけど、毎日稼ぎまくりました。

毎月、特集企画の新記録樹立!(これ本当だよ!)

で、「どこの馬の骨ともわからん奴に高の新聞社は、経済系の新聞社。


僕は「勉強するためには千載一遇のチャンスだ!」と思った。


だけどね。

家庭を持って、子供もいた。


1人で決められる給料ではない。


確かに、当時の大卒初任給よりも僕の初任給は3万円高かった。


でも、奥さんは社内結婚だったから、その給料が普通だと思っていたし、半年後には19万円に給料を上げたから(実力でね)、また新卒の給料に戻るけどいいですか?と聞きづらかったなあ。


それに、前職は商社の営業課長として、当時26歳で28万円弱くらいの月収をもらっていたから、月の収入だけでも12万円、年収では200万円以上減る。

トホホ・・・・・。


なんて言おう。


帰り道が遠かったこと。

3男が生まれたばかりだったしね。




でもね、意外にあっさり「いいんじゃない?やりたかった仕事でしょ?兄貴の紹介だし。断るのもかわいそうじゃない?」って。「その代わり給料上げてよね!」って。


「はい!」って答えて、広告部の責任者に「課内にも了承を得たのでお世話になります!」って電話を入れたら、喜んでくれて、当分は本社勤務ってことになった。まずは広告営業で結果を出してくれって。


商社マンだったからね、営業は好きではないけど苦手ではない。


まずは「町の特集」を任された。


新聞の下の方に、町長のあいさつ文があって、町の企業の広告が並んでいるくだらない広告枠があるでしょ?あれ普通は代理店がやるんだけど、本社がやる特集もあって、なぜそれを担当させてくれたかというと、町の記事を書くのもやってもいいよということだったんだ。最初は、本当に田舎の小さな町ったけど、今まではアポイントとって訪問する営業しかしてなかったんだけど、そんな余裕はないし、電話で広告をとるのは代理店がやるから同じに思われて断られるだけ。


だから新聞と企画書を持って、読者を中心に、あたかも日頃のご愛読のご挨拶に来ました見たいな顔をして、ローラー作戦。


僕は東京の商社で鍛えられたから、たぶん「丁寧な奴が来たなあ」と珍しかったんだろうね。


まして、新聞社の名刺って、アポなしでも社長が出てくる。

これには驚いた。


それに、僕の担当エリアは、かなり有名な工業地帯。


工業系は強いのが僕の取り柄。

話題は尽きない。


だから1日20軒回れるかどうかだったけど、毎日稼ぎまくりました。


毎月、特集企画の新記録樹立!(これ本当だよ!)


で、「どこの馬の骨ともわからん奴に高い給料をだせるか!」と言った社長が、とうとう「ちょっとおいでぇ」って。
社長室へ行くと、「頑張ってくれてるねえ。期待通りだよぉ」
って給料を3万円上げてくれました。
入社3か月後、異例の昇給。

奥さん大喜び。

でも僕は、広告部の上司にすぐお礼の電話を入れました。
「社長に言ってくれたんですね。ありがとうございました」って。

そう、上司が、アシストしてくれたんだよ。
未だに仲良くしているけどね。いい人なんだ。

その新聞社では記録という記録をすべて塗り替えたし、年に数回ある全社員参加の「購読キャンペーン」があるんだ。

これには、個人賞とチーム賞があって、賞金が出る。

これ、在職期間中、個人と、僕が在籍したチームは全部ダントツで1位。賞金は総取り。

奥さんにそのまま取られたけどね。

でもね、それができたのは「コンサルタントになるため」に、様々な業界に、興味を持って乗り込んでいった結果なんだよ。

興味を持つからこそ深い話をする。

自分の会社や製品、サービスに興味を持たれて嫌な社長はいないよ。ましてや新聞社の人間に。もしかしたら新聞で紹介してくれるかもしれないと思っているし。僕は、興味があるところを選んで自由に動けたから、もう学習欲の塊だった。

新聞社で学んだことは実際にコンサルタントとして生きたしね。

何より、「元新聞社支局長」という経歴はコンサルタントとして申し分なかった。

目標に向かって努力するって、自然にいい方向へと「流れ」を作るんだなあって、思ったよ。
<続く>

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