枕詞「ふつうに」の誤解

よく、形容詞などの前に「ふつうに」という副詞をつける。
この「ふつうに」を聞いた人の中に、こんな感想を抱く人もいる。

「ふつうにってなに?」
「まあまあってこと? だったらそう言えば?」

「ふつうに面白い」
「ふつうに美味しい」
「ふつうにカワイイ」
ふつうに……ふつうに……ふつうに…………

自分にとって自信のあるものを「普通」と言われたら「は?」と思うのもわかる。
だが、少し待ってほしい。

そう思ってしまう人は、「ふつうに」を使っている人の感覚を捉え損ねている可能性がある。

まず、「ふつうに」を使う人は、基本褒めていると言っていい。(例外がいる可能性はあるが、例外についてはここでは言及の対象から外すことにする。)

しかし、「は? 感じ悪っ」と受け取る人は、「大したことない」という意味で受け取っている。

この違いはどこからくるのか。

私が出した結論は、それぞれが「ふつうに」という語を何と対比しているかに依拠する、というものである。

まず、受け取り手の想定している「ふつうに」というのは、「全然」→「そんなに」→「普通」→「超」のような、程度を表す副詞のちょうど真ん中に位置するものだろう。つまり、「(程度として)悪いわけではないがとびきり良いわけでもない」「特筆すべきものがない」という、「大したことない」の意味にとれてしまうのだ。

勘違いされる側(「ふつうに」を使う側)のためにこの誤解のメカニズムを軽く考察する。
「面白い」「美味しい」といった褒める言葉を使っているのだから、当然言われた方は喜ぶだろう。
しかし、「普通」という程度をわざわざつけることによって、「面白い」のモノサシの中の「普通」へと位置が変化する。それは喜べるだろうか。
「『面白い』のモノサシ」とは、先程の程度の副詞をつけることで「面白い」という語の強さがどのように変化するかを表すものと考えてほしい。
「全然面白くない」→「そんなに面白くない」「普通に面白い」→「まあまあ面白い」→「超面白い」
これを読んだ「使う側の人」は、違和感を覚えることだろう。
そう、使う側の感覚は、これじゃない。しかし、使われた上で機嫌を損ねる人は、この感覚で「ふつうに」を受け取っているのだ(と思う)。
「面白い」とか「美味しい」とか「すごい」とか、褒める語と一緒に使うことで、「褒めてんの? 褒めてないの? どっち?」といったイライラを抱かせてしまうことになる。

ただ、使う側にとっての「ふつうに」は、程度のどっちつかずさを表しているわけではないのだ。

さて、ここからが本題である。
では一体使う側はどんな意味で使っているというのだ! という疑問に答える時だ。

ずばり、「逆に」との対比である。

昨今、「逆に」「ある意味」という語をナチュラルに前につける人が増えている。
それが行き過ぎて、逆じゃないのに「逆に」をつけるということすら見られる。
その対処法とも言えるのが、今回取り上げた「ふつうに」である。

要するに、「ふつうに」というのは程度を表しているのではなく、「逆でない・ストレートな意味で」という意味にほかならない。程度の意味はそこに微塵もないのである。

形容詞の前に何かしらつけるというリズムが醸成されているのか、シンプルに言うよりも「逆に」という語をつける方が言いやすい、もしくは口をついて出てくるという人がよく見られる。しかし、意味の上で逆じゃないのに「逆に」をつけるのはおかしい。そこで、「ふつうに」の登場である。

ここまで考えて「ふつうに」を使っている人はむしろ少ないと思うが、むしろ「ふつうに」に「ストレートに・そのままの意味で」という以外に意味がないのが、何も考えずに使える所以でもあるのだろう。

つまり、「ふつうに面白い」は、本来の「面白い」の意味そのままということになる。
「面白い」というモノサシを持ち出してそれの「普通」にダイヤルを合わせるものではない。

これが私の出した「ふつうに」の誤解についての結論である。

なお、これは実際の調査に基づいた考察ではないので、根拠は私の感覚以外には一切ないので、悪しからず。

2021/4/26;16:12
筒井

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