ブロンとストゼロに依存した中高生時代

病歴

〜小学卒業まで 場面緘黙症
〜現在 社交不安障害、薬物(酒)依存(診断済み)

物心ついた頃から、漠然と大人になったら死にたいと思っていた。
中高生の頃は、自傷行為(リスカ、レグカ、OD、瀉血、下剤乱用、未遂等)をしていた。レグカはケロイド数十本残っていてとても後悔…

20歳の現在は自傷はほとんどしなくなり、中高生の時より情緒は安定してきた。
今は酒薬の依存に悩んでいます。

ブロン依存

中2、3のとき、人生で最も病んでいた。
首吊りで失神したこともあった。
橋の上を何往復も歩いたこともあった。
掲示板で知り合った人と会って練炭自殺しようとしたこともあった。
死ねなくて辛いって時に、職場体験学習で、私は調剤薬局に行った。劇薬、毒薬を近くで見て、沢山飲めば死ねそうと思い、ググって見るとブロンを知った。
初ブロンは30tだった。死にたい気持ちを忘れて、羽が生えたような多幸感を知った。同時に離脱の落ち込みも知ったが、利点が上回ると思った。

死にたいとき、つらいときに、わっと沢山飲むのではなく、①希死念慮の軽減して勉強をするため
②学校を行く元気を出すために飲んだ。
ピークは週4瓶飲んでたが、現在は月3瓶程度。

アルコール依存のきっかけ

まず、初めての酒がストゼロぶどう味のロング缶でした。←本当に良くなかった。
高2の冬、とても辛い時に、たまたま冷蔵庫に入っていたのを魔が刺して飲んだ。

翌朝母に怒られたが、酒を飲めば楽になることを学んでしまった。ブロンより即効性があった。

年確警戒しながらも、時々買うように。
定時制高校に通っていたので、元不登校の子がほとんどで人数も少なく、昼休みの時間は葬式みたいな空気でした。

反抗期だった私は母に弁当を作ってもらえず、何もせず机にいるのも気まずくて学校の外へ出て、ブロン買いに行くか、トイレに篭って泣きながらストゼロ飲んだり、レグカしたり、荒れていました。

↓酷かったときのルーティーン
①登校前にストゼロ2/3飲んで元気出す。
②リュックにストゼロ1本忍ばせる。昼休みは学校外のトイレでストゼロ1本飲む。
③放課後バイト行く前に朝の残りを飲む。
④眠れない時は酒を飲む。

未成年飲酒の時点でアウト…
外国人店員がいる深夜に家を抜け出して買いに行ったり、年確されないドラッグストアでストゼロ箱買いしたことも。

当時は家族と仲が悪く、関わりも少なかったので何も言われなかった。兄弟は妹が1人いるけど、5歳下で当時小学生。仲よかったけど、相談できる相手ではなかった。

誰にもバレなかったので、怒られることも注意されることもなく、辞めようと思えなかった。
自殺するからどうでもいい!と、幼稚な考え方をしていた。

酒を飲むようになった時期は、コロナ禍が始まった頃。マスク着用するようになったから、匂いでバレることがなかった。そんな背景もあってハマってしまったのかもしれない。

高校最初の方は元彼しか親しい人がいなくて、本気でストゼロが1番の友達だと思ってた。
制服を着てるJKが泣きながら1人でトイレでこそこそ隠れてストゼロ飲むなんて、虚しすぎんか?
「寂しい」という感情がわからない。孤独に慣れて、寂しい感情に鈍感になってるのかも…


断酒していた頃

高3の秋、専門学校受験を終えた後、(犯罪ではない)とあることで、家族や大好きだった担任の先生を泣かせてしまいまった。
深く反省して酒薬を辞めようと思った。
昼休みは友達と昼ご飯を食べるようになり、アホみたいな飲酒習慣は卒業までの数ヶ月、ほぼきっちり辞めれた。ブロンは飲んでいた。

当時の自分に会えるのなら本気で叱ってあげたい。何日かけてでも、説得しておかしな酒の飲み方をやめさせたい。

新しい環境でストレス→再飲酒

専門学校入学後、一人暮らしを始めた。
友達もできて学校は楽しかった。

しかし、希死念慮など、酒薬飲むようになる以前からの問題は何一つ改善されていなかった。
死にたくてたまらないときは、レグカや瀉血した。

「私は依存しやすいから20歳まで酒は飲まない!」と決めていたのに4月末に1本だけだからとストゼロを飲んでしまう。快感を思い出す。

最初はほろよい、氷結も飲んでいたが、コスパ重視でストゼロ6本入りをストックするようになった。飲まない日も全然あった。

時間をかけて少しずつ依存するようになった。
ストロングゼロ無糖ドライ350ml6本パック×2を買うのが恒例となった。
箱買いしないのは、スーパーの店員にアル中に思われたくなかったから。でも、12本を毎週買ってる時点で既にバレてるよな〜


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?