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イイネや党派性だけを気にする人間もどきが居るという事。

 こんばんわ、今日もお疲れ様です。と言う風にNoteの書き出しに書かれていたのでまずは入力しておこう。
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 さておき、表題の通りである。どうやら理性を飛び越えて党派性だけを気にして生きている人々と言うのは存外に多い。という事に気づいて来た。と言う話だ。
 疑念はアンチフェミおじさんたちの態度から生じた。彼らの多くは非モテや子供を養育しない人間を下に見ている。まあ事実その通りだとは思う。子供を養育しないより養育する人間は苦労も多く大変だ。立派だと言い換えても間違いないだろう。しかし、時折過剰に攻撃されることが気がかりだった。
 私自身の自尊心を守る護身的な反応だと思っていたのだが、どうもそういうわけでも無い気がしてきたのだ。疑念の始まりは白饅頭先生のオタク叩きからだった。可哀想ランキングを看破した人間がオタクを叩き、再び可哀想ランキングを生成している様に見えて複雑な思いをしたこと。最近の白饅頭日誌でもヤバいオタクの事を晒上げていた。結局のところ白饅頭先生の行いは知的ボーダーを見つけては晒上げる。と言う運動に収斂していく予感はしつつ、まあそれはそれで良いか。と思う次第だった。バカな人間は晒上げられた方が良いだろうし、ツイッターでもそのような存在が開示請求などを食らうようになってきた。今までがおかしかったのはその通りだろう。
 もう一つの疑念は進化論的なものの考え方を肯定するのであれば非モテである私が死ぬことを肯定するしかなく、私自身の遺伝子など残すわけにもいかない。このような考えを彼らは根性の無い反出生主義だと言うかもしれないが、それを助成しているのも彼らではないか?と言う気付きだった。
 彼らの多くは保守的思想の持ち主であり、護国のために人口を増やさねばならぬのであれば、ここは大きく矛盾する。現代は戦争時と同じ程度の自死者がいる。ハッキリ言って異常であると言えるだろう。現代日本では自己責任論と言う自罰性の内圧が高く、それを助成しているのは彼らのようにふんわりとした進化論を信じている人間なのではないか?という事に思い立ったのだ。(もしそうであれば逆賊にもなりうるのではないだろうか?🤔)
 弱者を生み出すことにより強者になる。そうする事により多くの人間は少しでも自分はマシだと思い、安心を得ているのではないだろうか?そのような疑念を私は持つようになった。

 私個人の考えとしては人は皆等しく無力であり愚かである。くらいにしか思っていない。だが、雑な進化論を信じて「ほなしゃあない。人類のためにも種絶の構えで行くかあ」くらいの気分でもある。私も等しく愚かだからね!周囲がそれで納得をするのならば、それをやんわりと実行し続けてもいいわけだ。ローコストで成せる、大義ある種絶だと言えよう。まあこういう人間は根性なしだと罵られるような気もするが、不思議な話である。種絶するべき人間だと言う同じ口で努力をしろと言う。努力をしてしまったら劣った遺伝子を人類に残すことになり種絶を果たせない。劣化した人間がつくられるばかりではないか?と思うのだが、遺伝子による性質の伝達を実のところそれほど信じていないというのだろうか。謎は深まるばかりだ。

 さておき表題の人間もどきについての話をしよう、最近本を読んだ。橘玲さんの「バカと無知」と言う本である。

 この本にイイネやグループ内での評価を得る事で論理を伴わない承認を餌にする人間が居るという事が指摘されている。特に理解が進んだのはパート1の2小節目「自分より優れたものは損失。劣ったものは報酬」という項目だった。タイトルだけでもピンときた。多くの者にとってSNS上での応酬はこの報酬を得るための働きだったのだ。

 なぜ我々人類はこのような心理的機能を有するに至ったのか。そのメカニズムは至極単純である。トライブの中で有益な人間だとアピールするためであり、有益さをアピールする事により異性を獲得する必要があったからだ。

 SNSではバカと賢者が議論する事がそもそもできない。バカは自身のバカさを理解する事が出来ないからだ。だが、バカが大声で喧伝する事でイイネを獲得して手柄を持ち帰ることが多々ある。(僕はこのような事をする人たちを「干物を持ち帰る人達」と心の中で読んでいる)

 陰謀論者の盛り上がりやツイフェミ(宮台真司さんの言葉を借りるのであればクソフェミ)たちも多くそのような行為に没頭している。そのような行為に耽るのは何も現実社会での承認を得づらい知的ボーダーのような人間たちだけではない。SNSを開けば簡単に干物を見つけて干物を持ち帰る事が出来るのだ。誰しもがこの蠱惑に逆らえない。

 理知性を失った人間もどきには誰だってなりうる。私もそうだ。男女平等社会を謡っておきながら男性差別が横行している昨今において、そのような矛盾を見つけては晒上げる行為に勤しんでしまう。
 SNS空間で承認を得れる干物を見つけては晒し、その行為に耽り自身の仕事を疎かにするべきではないとは思いつつも、どうしてもそのような行為をやめることが出来ない。恥ずべきことだが、私も干物が欲しいのだ。ひいては、自身は正常で有益な人間であるという保証が欲しいのだ。



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