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生殖や自然淘汰について

この話は多分前置きである。もしかしたら前も似たような事は文章に起こしたかもしれない。

 自然淘汰と言うものがある。環境に適さない生物が淘汰されていくという現象である。
 非モテ属性に属する私は度々モテ男性たちに「お前たちは環境によって淘汰される人間なのだ」というような言説を日々聞いていて辛くて泣いてしまいそうになる。
 普通の人間だったらアイデンティティクライシスに差し掛かるような話だが、私は非凡な人間だったので少しの傷つきで済んだ。心の弱い人間だったら自殺すらしかねない情報だろう。危ないところだった。

 さておき、最近モテ非モテを自然淘汰説で語るという事は、実のところ何も語っていないのではないかという疑念を持っている。
 遺伝的な形質や性格的な形質を引き継いでいき、今後は性欲旺盛な人間だけが生き残るのである。という話を聞くにつけ、ではなぜ現代はそうなっていないのか?という事も気になる。

 遺伝継承の話で言えば、私の父は高校生のころは番長を務めるようなドヤンキーだったのだが、どういうわけだか私は非モテオタクである。形質として暴力性というもの。と言うかシンプルに腕っぷしやガタイの良さなどは受け継いだわけだが、異性獲得に成功したことなどない。どうしてこうなってしまったのか。同じ遺伝形質を持っているとは思えない非モテ男性が出来上がってしまっている。

 いとこの二人娘。歳のほどは2つほど離れていただろうか。姉の方は勉学が苦手だが運動万能。妹の方は学力が優秀で姉の方に少し教えたりもするほどだった。同じ人間から生まれても、才覚は大きく違った。
 遺伝形質が似ていても、全く別の人間になる。当たり前の事だ。姉妹兄弟がいる人間ならば深くうなずける話だろう。

 種明かしとしては別に遺伝形質の他にもライフイベントによる影響力が大きいという事と、情勢の変化によるものが大きいのだろう。
 そもそも遺伝的に何が顕在化するのか?という事だけをとっても、それこそ神のみぞ知る事だ。

 現代の繁殖の環境に適応した人間の話をしよう。
 最近、人格改造を果たして異性獲得に成功した例を見た。ナヨッとした人格の持ち主だったが、しばらくしたら女はクソだとオラついた言説をするようにもなり(たぶんマッチングの過程でマジで色々なクソ女を乗り越えてきたのだろう)無事結婚を果たした。
 鳥が求愛のダンスを覚えなければならないように、人間もメスを興奮(もしくは安心)させる正しい人格をペルソナとしてでも備えておかなければならないのだろう。
 
環境に適応する。という事はこのように女慣れしていき多少なりとも色気を纏う事が必要なのだろう。やはり私もLv80辺りの破壊神シヴァをペルソナ召喚してセクシーダンス出来るくらいになるべきなのだ。マヨナカTVに行かねばなるまい。

 求愛のダンスを覚えた人類だけが生き残る。という事と遺伝形質はそんなに関係のある事ではない。
 顔の良し悪しの話もあるが、今の若者は男子も化粧を覚えるようになっていると聞く。これも適応の一例なのかもしれない。単純に見栄えが良いと得するし、ポリコレによる趣味の平面化で美容を趣味にする男性が増えているだけかもしれない。

 女性に選ばれる。という事が現代の異性獲得環境のメタ(勝ちパターン)なのだ。女性も女性で男に選ばれた(誤字じゃない)事が自尊心につながると聞く。
 両性ともに最終的な正しさを相手に委託する事で不足を補っている。そういった面もあるのだろう。ロールを差配するSMのような関係性にも見えるわけだが、恐らく人類は長らくそうして来たし、今後もそうしていく事だろう。
 私としてはアイデンティティを誰かに委任しすぎることは未熟さにも見えるが、そもそも人間は曖昧で弱い生物だ。相手と言うブラックボックスに我が身を投げ込み安心を得る。これも優れた方法なのだろう。

 巻き戻って自然淘汰の話になる。
 現代の人類は数が多いので遺伝子プールはそもそも潤沢であると言えよう。ではここで言う「自然」とは何かという事に思いを巡らせると、現環境(メタ)の事でしかない。現環境に適しているかどうかで自然淘汰が働いている。という事には頷ける。自然淘汰というよりも正しくは性淘汰だろう。
 そもそも自然淘汰で語っているのは淘汰されて残るものがある。と言うだけであり、正しさや強さはひとっつも保証されていない。過程があるという話に思える。ナマケモノの動きは遅いし、人間は腰が凝る。クジャクの羽根はデカくなるし、ガラパゴスゾウガメはガラパゴス諸島に適応してデカくなるってわけだ。

 優生学的な自然淘汰事態を肯定するのであれば私のようなモテない人間が性淘汰されるのも積極的に肯定されなければいけない。(上記で述べているように、本心としては優生学的な自然淘汰事態にはそう信じたい人が居る。程度にしか思っていないわけだが)
 不要な枝葉を切り取る事も大事だ(単純に不要だ死ねと言われてるのと大差ない)。「セクシーダンスを覚えなければ現環境では役立たずだ」と言われているわけだが、それは遺伝形質とはまた全く別の話でもある。性淘汰圧の強い現代社会の人間独自の環境であると言えよう。

 女神転生の話に例えれば、「セクシーダンス」や「チャームアイ」を覚えるかどうかと言ったスキル適合の話だろう。確かに魅了は強い。敵が敵を攻撃してくれる。あれは強い。だが、スキル枠が一杯だし軟派っぽいからセクシーダンスを取らなかった。そして生まれたのが俺(ら)ってわけ。オタクはちゃんと風呂に入れ。だが断る。

 しかしまあ、ロシアウクライナ戦争で無駄に人民を溶かしまくってるロシアの事を思えば、ここで語られているような性淘汰の話も平時の話でしかないのだろう。ロシアの状況をグローバル思想と仲違いした思想故の状況でもあるという事を思えば「環境」と言うものは多層的に存在しており、とても大きな波であり大海でもあるのだろう。それぞれのバイオームを精査するだけでも大変だ。現にロシアが戦争をしたきっかけは説明をされても単純には理解できない。ここまでするべきことなのか大いに疑問である。
 大海の潮目や風の流れを読むには我らの存在はあまりにも矮小すぎる。燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや。とはよく言ったものなのだろう。

 また、自然淘汰によって淘汰されるのは個体でなく群れである。と言う話も聞く。これを群淘汰と言うわけだが、情報や思想のようなもので群体の傾向が決まりジェノサイドが行われている様も国際間的群淘汰ともいえるのかもしれない。まあこれは思想空間や種族空間の話でもあるので小人である自分が語るには分不相応な話題だろう。

 ところで話は変わるのだが最近ディスコードを久しぶりに起動した。色々な話題のログを斜め読みしていたところ、既婚アンチフェミおじさんの労働環境がクソ過ぎて軽度のうつ病になっていたらしい。
 優生学的な自然淘汰を良く語っていた人だったが、うつ病になる人間は優生学的に優れているのかどうか。気になるところである。
 いやまあそういうつもりの発言では無かったのかもしれないが、非モテは滅ぶべき劣等遺伝子扱いしてたのでこれくらい言っても良いじゃん。どっちにしてもちゃんと俺も滅ぶ?しな。大目に見てくれよ。

 まあこれは優性思想とは全く別な話で、労働「環境」に対するアプローチ権を多くの労働者、特に「父親」と言うものは待遇や家庭を人質に会社に奉仕する事を強いられているので、そういった環境によって発生したものだろう。シンプルかわいそう。

 環境に適応した結果うつ病になってんのバカみてえだな。とは個人的には思ったけど。人は環境に振り回されて淘汰に耐えつつ生き残っていくものでもあるから、これも世の流れというものでもあるのだろうな。

 という最近のお気持ち。

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