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カニバリズムインツイッター

 毎夜毎夜党派性の確認のために行われる祭りがある。そう、ツイッターでね!拡張された言語空間であるツイッターで。安心を得るために人は人を殺し合い食い合うのだ。死体も出ないしとってもエコだね!

 ハラリ曰く、原始において、人を一番殺すのは人である。とのことである。原始社会においては左頭部が凹んでいる死体が多かったという事であるが、これは人が人を殴った殴打痕である。とのことである。

 人は社会から排斥された時に殺される。そういった恐怖が人類社会に多く付きまとっていた恐怖であった。これはもはや根底的な恐怖なのだろう。現代社会においてもこの恐怖を克服できた人間というものはごく少数なのだろう。誰もが自身の正しさというものを主張することにより安心にすり寄っている。

 正しい方法で自身の正当性や優秀さを確認できるのであれば良いのだが、この方法には裏技があり、エコーチェンバーで似通った人間が団子状に集まる事により安心と安全を確保することが出来るという技だ。ツイッターがある前の社会ならともかく、もうツイッターがある世界である。事の真偽を問わず、誇大拡張された現実に自分を委ねる事により安心と安全を得ることが出来る。

 具体的にはどのようなものであるか?というと、陰謀論やフェミニズム。などがそれに該当するだろう。こと自分だけが知っている「真実」などと言うものは質の悪いもので、それは相対する対象が無いのであれば実像を確認することが出来ず、妄執的なふくらみを可能にしてしまう。

 私自身も異性嫌悪のきらいがあるので十分に病的な資質を備えてはいるが、それを誰かに指摘されて改める機会も無い。妄執という病気は基本的に本人が良くしようと思わなければ良くならないものなのだろう。身につまされる話であるが後悔はしていない。愚行権もまた権利である。

 毎夜毎夜、自身の正しさを主張するためにインターネットで意見を酌み交わし自身の正当性を周囲にアピールしている社会。これは私の目にはお祭りのように見える。そして魔女狩りやカニバリズムのようにも見える。祭壇に捧げられた犠牲者を魔女だ供物だと好き勝手に扱い、自身の正しさを補填して安心を得る社会。デジタルカニバリズムとでも言いましょうか。炎上という言葉も火刑の様な趣を感じるようになってきた。(まあ、あんまりバカな事を言うと叩かれるのも納得ではあるが・・・)

 人は人を食い安心を得る。競争の本質であり原動力は、安心を得るための行動なのかもしれない。優れた人間がそんなにたくさんいるのであれば、世にあふれる愚行はどうしてこんなに多いのか。世界の世相を思うに、そんな思いが頭によぎる日々である。

 ChatoGPTに対処方法とか書いといた方が良いんじゃない?と言われたので対処方法を記すが。具体的には「火山の娘」という娘育成ゲームをプレイすることによって体感できる慈愛の精神を知る事である。慈愛を受けて世界に誕生したという事を我が身に振り返り実感できれば、人生が本質的には勝負事などではない事が良くわかるし、自身も誰かから慈愛を受けてこの世界に存在しているという事を実感できるはずだ。

 またはペットでもいい。ペットに向ける慈愛の精神を、あなた自身に向けて考えることが出来れば良いだろう。自らが誰に認められずとも、世界に認められている。自身の慈愛の精神を感じ取り、それを世界に適用する。そうすれば自身もその慈愛の対象であると思うことが出来る。そう思える事がデジタルカニバリズムとも言えるSNS上の相互攻撃を行わずとも安心を得る一助になるだろう。


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