どうしようもなく貧しい僕らの人間関係
貧すれば鈍す。
Vtuberの配信を見ていた時に弱者男性の話題が上がった。曰く、「弱者男性と申しますが、弱者女性だって居ます」と言って、最近金欠で下着もボロボロのものを使っていて、見かねた親に下着代を頂いたという話だ。
ふむふむ。これは確かに弱者だ。などと深くうなずきつつ、最近見た動画で「弱者は弱者性を競い合い、リソースを奪い合うようになる」という、いわゆる弱者競争という言説を思い出す。
ははぁ、これが・・・と思ってその場はそれで流していた。Vtuber本人も深い言及をするつもりもなく、自虐ネタとして用意したパンチの効いた話題でしかないだろう。とりあえず笑って、追及をすることなどはしなかった。
真の弱者はそのような立場において見兼ねてくれる人が居なかったりする事が問題なわけだが。それこそ真の弱者争いにしかならないだろう。
同時に、私たちの関係性の貧しさをも思い知る。一昔前の皆婚社会を思えば、このように愛想を巻くでもなく旦那でも居れば見兼ねて下着代くらいは出してくれただろう。
しかし今は令和だ。商品化されたキャラクターで愛想を振りまき、スパチャを投げるこの関係性。そういったワンクッションが必要なのだ。
これは貧しいものなのではないのか?そんなことを思い立つ。(もちろん皆婚社会にも問題はあっただろう。ろくでもない相手だとしても長く付き合わねばならない等々)
異性は人生の鬼門ともいう。その責任やリスクを恐れた結果このような社会にもなっているのだろう。男の側もリスクが上がりすぎた結果、見る事しか出来なくなり、女の側も触れさえされなければ危険には合いにくい。それを思えば、インターネッツキャバクラは時代に適用した結果だと言えよう。
しかしまあ、私も十分な収入がある身でもない。薄給の自営業者だ。いわゆる風俗業界の水揚げのような真似は出来ないし、そもそもVtuber業界自体がアイドル業界からの流れも汲んでいる。演者に触るのはご遠慮ください。というような関係性だ。Vtuberファンを豚と称したのは誰だったか。しかし良い例えだ。檻に入れられ、適度に飢えさせ、檻の先にあるニンジンに興奮し鼻を鳴らす。豚とはよく言ったものだ。関係性弱者である私も深く頷いてしまう。
我々は、いったい何をしているのだろうか。自由を追い求めた結果がこれなのだろうか。貧者同士が出会い、仲睦まじく関係性を築くことなどは無い。だからといってこんな、リソースをキャラクターという商品を介して融通しあう不自由な関係があるのだろうか。
赤い札(赤スパ、1万円越えの投げ銭)が豪快に飛びあう世界で、誰もが出会わないのだ。双方の関係性の貧しさを感じずにはいられない。
いや、もしかしたら適度に出会ってるのかもしれない。男女の機微というものに疎い私には何もわからぬ。
↓以下はAIに簡易化してもらった文章です。大枠はあってる。
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