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村上春樹「職業としての小説家」

金曜に買いましたが、その夜発熱したため土曜日は読めませんでした。

今日は熱が下がり、布団の中で読むことができました。

最初の章で、これまでもよくエッセイなどで出てきたエピソードである、小説を書くきっかけとなったできごとについて、今までで最も詳細に書かれています。

今回、この部分を読んで涙が出そうになりました。

ヤクルトが初優勝した年の神宮球場での開幕戦で、1番バッターのデイブ・ヒルトンが初球をヒットにした瞬間に「僕は小説が書ける」と思い、帰りに万年筆と原稿用紙を買って帰ったという、ファンにはおなじみの話です。とても美しい、寓話のようなお話です。

実は僕にも同じような瞬間があります。

それでこのエピソートに対してシンパシーを感じるのかもしれません。

その時のことはまた機会があったら書きます。

冒頭の章では、「小説家というのは異分野参入に対して寛大である」ということが書かれていて、これは又吉氏のことを言っているのか、あまりにタイムリーな・・・と思ったんですが、多分書かれた時期は又吉さんが小説を書くよりもずっと前だと思います。

また、この章では「小説を書き始める」ということが「プロレスのリングにあがる」ということに例えられています。

チャンドラーの描くフィリップ・マーロウはプロレスラーが大嫌いだと「長いお別れ」の中で語っていますが、村上さんもどう考えてもプロレスを好きなわけはないのに、この例えは大変適切で、さすがだなと思いました。

「学校」について書かれた章もあります。

流れから考えると少し唐突な内容ですが、これは彼が「社会的責任」を感じてあえて書いた文章ではないかと思います。

この中で昔、宝塚の高校で起こった、教員が校門に女子学生の頭を挟んで死なせた事件のことに言及されています。

僕も村上さんと同じ兵庫県の出身で、同県の高校教育の体質から、このような事件は起こりうることだし僕が殺されていてもおかしくないと、当時大変憤りを覚えました。この事件は簡単に忘れるわけにはいきません。

僕自身は高校の頃から要領が良かったので被害には遭いませんでしたが、頭を蹴り上げられたり大変な体罰や理不尽なことをされた同級生がいました。

僕は当時のことを忘れないし、学校に対して良い思い出というのは今でもまったく感じられません。

マツコ・デラックスがテレビで「義務教育は牢屋だ」と言ってましたが、その通りだと思います。

村上さんの最近の発言や文章は大変ストレートで、まっとうです。

この本も本当にストレートで、丁寧で親切に感じました。

ちなみ本屋には山積みになっていて、流通面では通常と変わらないな、と思いました。

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