inside ゴッホ美術館
まあ,しかし,本当に大量のゴッホがあること。
実は,ゴッホは多作家で,年代も比較的新しく,また,死後に保存をする動きがあって,たくさん残っているのです。
この辺は,初期作品ですね。
ゴッホが,フランスに行く前の作品になる。
農民をモデルにしていた。
ゴッホは,バルビゾン派のミレーを敬愛しており,農家の生活を描いたりしていた。
ミレーは,落穂ひろいとかが有名な画家。
ジャガイモとか,書いてるわけです。
ジャガイモを食べる人々。
しかし,この暗さ,さすがに売れないのでは,と思ってしまう。
こちらは,フランスに出た後の作品。
印象派の画家たちと交流し,色彩が鮮やかになっていく。
それと同時に,ゴッホは,大の日本好きになり,浮世絵などを集めていた。
それで,こういった模写,のような作品を作っている。
歌川広重作品の模写もあったと思う。
カフェ・タンブランの店主アゴスティーナ・セガトーリがモデルである。
タンブランは,フランス語読みなので,英語だとタンバリン,絵にテーブルとして描かれている。
セガトーリとゴッホは,交際関係にあったと言われているが,結局は,破局したそうで。
フランス以後は,色彩が鮮やかになる。
ゴッホの色彩は感情を表現する,と言われていて,後年のエクスプレッショニストの走りになっている。
ルーランの子ども。
ルーランは,ゴッホのアルル時代に,郵便夫をしていて,ゴッホと家族ぐるみで交流があった。
これは,息子だけれども,ルーラン本人や,ルーランの妻の肖像画も描いている。
ゴッホ美術館にはありませんが。
アルルで,ゴーギャンと共同生活をし,後に破綻するのですが,これはアルルで描かれたゴーギャンの椅子。
ゴッホの椅子は,ロンドンナショナルギャラリーにありましたね。
これは,サンレミの精神病院に入院中に描いたもの。
うねりと色彩が鮮やか。
調べると,ゴッホは,
1886年にパリに出て,その後
アルルに移り,1888年 - 1889年5月までいて,耳切り事件のあと
サン=レミの精神病院で1889年5月 - 1890年5月まで,
オーヴェル=シュル=オワーズは,1889年5月から,同年7月で自殺している。
短期間で移動を繰り返していた。
これは,カラスがちょっと不気味に見える。
シュル=オワーズで描かれたもので,絶筆,と言われたりもするが,実は違う。
ただ,この絵の後に自殺を,と言われると,なんとなく死を連想してしまう。
自殺後に,カンバスに未完成の絵があり,こちらが,ゴッホ最後の作品となった。
これだけ見ると,力強いようにも見える。
まあ,まだまだ,他にもたくさんの展示があったけれど,とても載せきれません。
感触としては,マウリッツハイス丸ごとゴッホ,くらいの規模感です。
見終わって,ふと思ったのだけど,ベッドの絵,見てない。
何でないんだっけ,貸し出し中かな,と思って,職員にきいてみると,それは,特別展の方にあるよ,と言われた。
おいおい,トラップ仕掛けてくるなと。
MATTHEW WONGの特別展にあるとか。
特別展は,お金はかかりませんが,見に来る人は,そんなにたくさんいないやろう。
現代アートの作家で,自殺して亡くなったとのこと。
ゴッホとの共通点が,特別展では説明がありました。
これこれ,こんなところにあったのか。
普通に人が大勢集まるくらい有名だと思うが,パラパラとしかいなかった。
ゴッホ本館の方は人だかりがすごいというのに。
こっちにおいてあること,皆さん知らずに帰ってしまうんじゃないかな。
ゴッホの自殺は,他殺説もあるそうです。
自殺として,原因は,いろいろ語られていますが,狂気,という言葉が使われるのは,今日的な視点からは違和感がある。
何らかの精神障害があったということなのだろう。
抑うつ,精神変調,その辺りは,研究も進んでいるのでしょうね。
時間があれば,調べてみたいところです。
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