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平成2年2月22日 〜 時代はバブル絶頂で僕は20歳のバーテンダーだった

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水星逆行中のせいか、気持ちがレトロスペクティブな方向に向きやすいらしい。

そんな中今日は令和2年であり2020年の2月22日ということになる。

ぞろ目の日なわけだけど、僕にとって2月22日というのは、なぜか記憶に残る日なのだ。

何の日かというと、平成2年2月22日、つまり1990年2月22日が、オープニングスタッフとしてバイトしていた六本木の飲食店のグランドオープンの日だったのだ。

僕は17歳から飲食店でアルバイトを始め、24歳で遅めの就職をするまでずっと六本木と銀座の飲食店で、かなり気合いの入った「コアアルバイター」として働いていた。約7年である。

その間何回も勤務先のお店を変わったが、その中で新規オープンのお店のオープニングスタッフというのは、最初で最後の体験だった。

そのお店は六本木六丁目の、いまは六本木ヒルズのメトロハットとハリウッドビューティープラザのあたりにあった。

地上3F、地下1Fの建物で、3Fが事務所。そして2Fがフランス料理店、1Fがテラスもあるカフェとブラッセリー、そして地下がかなり本格的なカウンターバーだった(テーブル席もあった)。

2Fから地下まで全部同じ水産会社の経営で、もともと銀座にフレンチのちょっと有名なお店をやっていて、六本木が二店舗目ということだった。

2Fのフレンチと1Fのブラッスリーは同じ名前で「ル・シャルルー」(Le Chaleureux)、そして地下のバーは「アスール」(Azul)という名前だった。

僕は前のお店でもバーテンダーをやっていて、ウェイターよりバーテンダーの方が好きだったので、地下のバーで働きたいと立候補して採用され、オープニング初日を迎えた。

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