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僕は「大丈夫な世界」を生きている

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子供のころに一番怖かったのは核戦争だ。

小学校低学年のときに伯母に連れられて九州を旅したとき、長崎の原爆資料館を見学したときに激しい衝撃を受けた。

当時は1970年代後半で、時代は冷戦真っ只中だった。

学校の授業で習ったわけではないと思うんだけど、子供はちゃんと冷戦構造をメディア経由で叩き込まれ、ソ連という悪の権化みたいな国があって、我々はソ連に襲われる危機に日々面していると思い込んでいた。

昭和50年代前半というのはまだ太平洋戦争が終わって30年ちょっとしか経っていない時期だったので、戦争の体験談もいまよりもずっと生々しく語られていたし、戦前・戦中生まれの方が戦後生まれより人数が多い時代だった。

渋谷駅の東口を通ると、傷病兵の人たちが白い浴衣みたいな服を着てアコーディオンの音に合わせ、戦争で失われた腕や脚の欠落部分を見せながら物乞いをする姿が見られた。

家でも祖母は戦争経験者だったから、東京大空襲のときに家がどの辺まで燃えたとか、防空壕に避難してとか、あと祖母の弟がシンガポールで戦死していたのでその話しとかを生々しく聞かされていた。

前回の戦争でメチャクチャにやられてしまった日本。そして北方領土を奪い、核兵器をたくさん持って日本を狙っているソ連。

世界は第三次世界大戦に向かってまっしぐらに進んでいて、アメリカとソ連が全面戦争に入り、日本はソ連に核攻撃されて全滅してしまう。そして僕は長崎の子供たちのように核攻撃によって無残に死んでしまう。

それが僕が子供心に一番恐れていたことだった。

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