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仕事の単位ってなんだ?

大したことではないのにイライラしてしまった。いつだって仕事を"時間"を単位として扱っていいのだろうか。

ちょっとした定形作業が増えた。毎日の残業時間と累計残業時間をチャットして欲しいというものだった。勤務時間は専用のソフトウェアで管理していて自動で計算してくれるが、マネージャー視点からそのソフトウェアで残業時間を把握するには扱いづらいからチャットで別作業として記述してほしいということだった。特に毎日把握したところで月末まで何もしないことはわかっていたし、自動でやるものをわざわざ手作業で処理するなんて手間だしできたらやりたくない、週末だけではだめなのかと掛け合ってみた。

"数秒で終わるでしょ、やってください"とのこと。

本当に大したことではないとわかっているのにすごくいらついた。やりたくない、でも確かに数秒~時間がかかっても数分で終わる作業であることは正しい。

でもやりたくないのは本心なんだ。なんでだろう。

ひとつ思考実験をしてみよう。百ます計算は知っているだろうか。僕はちっちゃい頃に数回だけやったことがある。調べたら1分~2分くらいかかるようだ。

では、毎日の業務時間を1分短くしていいから百ます計算を毎日やりなさいといったらどうだろうか。僕はやりたくない。

じゃあ業務時間を5分短くしたら?百ます計算をする時間よりも業務の時間が削除されるのでメリットがあるだろうか。いや、それでもやりたくない。じゃあどのくらいかというと20分短くなるならいいけど、10分なら正直微妙だと思う。この感覚は人それぞれでいいと思う。

ここから言いたいことは心理的な負荷を変換した時間と実際の作業の時間は別だということだ。

冒頭の場合はどうだろうか。時間的単位で労働を見ると数秒~数分で終わるが、心理的な負担を含めて時間に変換すると僕は5~7分程度の作業のように思える。特に作業が手作業で手数が多かったり、無意味だと思うと心理的負担は大きい。

労働を時間の単位で扱うと定量的にみんな均一のものさしで評価できる。扱いがしやすい。労働を心理的コストの単位で扱うと定性的になる。定量的ではないし、みんな違う。じゃあ心理的コストの単位は扱えないのだろうか。

いやそんなことはない。実は僕たちは心理的コストの単位を日常的に使っている。”めんどくさい”、”だるい”、”忙しい”は心理的コストの単位で作業を表している。でもそれって時間に変換すると冷蔵庫に忘れられたナスみたいにちっちゃくなるものだ。先の実験では心理的コストを時間に変換したがこのやり方は誤差が大きいのだ。

心理的コストの単位はすごく扱いづらいけど、大切なんだ。無理に加工しないであいまいで人それぞれでそのままにするのが一番いいと思う。

無加工の粗野な声をそのままに耳を傾ける、こんな大胆さも重要じゃないだろうか。










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