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「恨まず憎まず時を待つ」 特定非営利活動法人ボランティア活動推進国際協議会 日本 理事 佐々木照子さん

昭和30年代から半世紀以上ボランティア活動をされている佐々木照子さんのお話を伺いました。

プロフィール
出身地:新潟県柏崎市
活動地域:東京都、時折海外
経歴:新潟県柏崎市生まれ。空襲の体験も経て中学生の時に終戦を迎える。労働大臣、内閣官房長官などを歴任した保利茂氏の秘書兼女中を務めたのち、昭和30年代からボランティア活動を開始。里親、ホームビジット、地域への配食、認知症の介護など多岐にわたるボランティア活動を実践。ボランティア活動を通した交友関係は幅広く愛新覚羅顕琦氏(清朝最後の王女)、豊田寿子氏(トヨタ自動車最高顧問豊田英二氏夫人)などとも親交を結ぶ。
現在の職業及び活動:特定非営利活動法人ボランティア活動推進国際評議会 日本 理事、目黒中央ボランティアの会 代表、社会福祉法人まりも会 理事

『父の教え』

Q:今までどのような活動をされてきたのですか?

佐々木照子さん(以下、敬称略):活動はとにかく幅広くて里親から老人、地域、行政と関わっているのですが、最初は里親とホームビジットをやっていました。ホームビジットというのは海外からの人達がうちで1日食事なり交流をして帰るというものなのですけど、昭和30年代に始めて8年間毎月続けました。

Q:ボランティアを始めたきっかけと、どんな決意からボランティアを始められたのですか?

佐々木:決意は特にありません。親の教えです。私は新潟の柏崎出身で、父は呑百姓の親父なんですけど、ただ近衛兵だったというのが心の支えでした。うちのおじいさんもですが、とにかく地域のために尽くした人だったんです。とにかく人を喜ばせなさいということでした。私達は田舎の農家でしたから、人間は一人では生きられないです。それを父はこう教えてくれました。「人という文字。わずか二本で人をなす。一本欠けても人にならない。支え合って生きていくものだよ。」それで、「人が喜ぶことをしなさい。」そして、「人にしてあげたことはすぐに忘れなさい。でも、してもらったことだけは忘れるな。」そういう父の教えでした。もうそれしか言わなかったです。私の生家伝来の人間としての教えです。未だに父の教えが私の中で生きているということです。

Q:ボランティアをされることで、どのような気づきや発見がありますか?

佐々木:いっぱいありますが、とにかく喜ぶ笑顔が見れるということです。人間の笑顔で、それも自然の笑顔が見れるということです。
 人間関係の中で一番感謝が基本だと思っています。とにかく困ったことでも話してもらえる人間になりたいですね。

記者:ボランティアをすることでどのような夢を描かれているのですか?

佐々木:夢はないです。夢を持ったら夢が実現しなかったらがっかりするじゃないですか。だから夢はないです。ただ人を喜ばせるだけ、喜んでもらえるだけです。母親の母性愛じゃないですけど、与えるだけでいいじゃないですか。そして、ボランティアというのは自分がしたくたって受け入れて下さるところがなければできないですから。だから、私が勲章を頂いた時に、私を受け入れて下さった皆様に感謝を捧げたいと思いました。求めては駄目なんです。求めたらボランティアにならないと私は思っています。

記者:これからどのような未来計画を立てられ、日々実践行動をされていらっしゃいますか?

佐々木:公共の施設の地域有効利用をしていきたいと思っています。近くで住区センターができた当時、NHKで大活躍していた堀江泰子先生のボランティアでお料理を毎月無料でご指導頂いて、こんな幸せ自分達だけで持っていていいのかということで、地域還元に配食と会食を始めました。2017年の3月で終わるまで32年間、毎週日曜日、約100食つくりました。ボランティアが意志で集まって、一度もガス、電気、油、中毒、交通事故などの事故なしです。誰も来なかったらどうするのかと言われたけど、来なかったことは1回もないです。大体少なくとも毎週20人は来ていました。嵐の日も暑い日も雨の日もありましたけど、一度もできなかったことはないです。これは目黒の宝で、私の心の誇りだと思ってやっていました。これからはこの火を消さないでくれと区が仰るので、今は月に1回会食をしています。
 私が今までやってきて一番思うのは人の喜びが分かち合えなかったら、苦しみなんか分かち合うことができないということです。人が良くなるとみんな妬みで足を引っ張って、悪いことがあると面白おかしく広げるので、私はいいことを伝えましょうという運動をしています。どんな人間だって必ずいいところがあるはずだから、いいところを見つけて広げていきましょうという主旨で「継承の小道」を立ち上げます。素晴らしい話を聞いても聞きっぱなしではなく伝えていくことです。幸せを自分だけで持ってちゃいけないということです。

『恨まず憎まず時を待つ』

記者:どのような心の在り方や認識の変化が今の活躍につながっていますか?

佐々木:私の好きな言葉で「恨まず憎まず時を待つ」というのがあります。どんなに叩かれても、どんなことをされても一切憎まない。恨んだりなんか自分自身が苦しいじゃないですか。自分に与えた人生で嫌なことがあったら自分自身が反省すればいいと思うんです。相手に嫌なことをされても「何で彼女なり彼が私にこういう思いをさせるんだろう。私自身に何かあるのかなぁ。」と考えているんです。そうすると、どんなことを言われようと叩かれようとちっとも苦にならないんです。お互いがそういう気持ちになるといい社会になりますよ。人間関係も良くなる思います。

記者:その認識の変化はどうして起こせたのですか?

佐々木:それは自然にです。例えば日本で初めてできた認知症の施設に25年間通いましたけど、色々認知症の人と関わる中で非常に残っているのは、例えば社長であれば社長である時だけが認知症の人には残っています。部長であれば部長の時だけが残っています。弁護士さんであれば弁護士さんで働いて活躍した時だけが残っています。これを私は素晴らしいんじゃないかと感じました。毎日が自分の良き日であるということは最高の幸せじゃないですか。そうすると認知症になった本人自身は最高に幸せだと思います。でも、周りの人が大変苦労しています。私が幸せだなと思った時には私を取り巻く家族なり、友達が大変苦労しているであろうということで、心で手を合わせるということを認知症の人から学びました。

記者:人工知能が活躍する時代に求められるニーズとは何だと思いますか?

佐々木:私はそういうこと好きじゃないです。人間としてハートで解決したいと思っているからです。心が通じるんです。人間が本当に心豊かになったら通じると私は思っています。目に見えないハートを大切にしていく、目に見えないものを大事にうまく人間が生きられる豊かさに繋げていけたらいいなということを思っています。

記者:これからどんな美しい時代を創っていきたいですか?

佐々木:美しいというよりも心豊かな社会でありたいと思います。みんなを思いやる、与えられる心を持ちたいなと思います。そうすれば喧嘩も争いもないです。ハートなんです。目に見えないハート、心が大切だと思っていますから。

記者:佐々木さん、本日は貴重なお話をありがとうございました。

佐々木さんの活動に関する情報はこちら
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【編集後記】
インタビューを担当した藪内、坂中、池田です。ボランティアの話にとどまらず佐々木さんの人生経験から得られたものを豊富に語って頂き、貴重なお話を沢山伺いました。日本のボランティアの先駆けとなり、半世紀以上経た現在も現役で活動されているということはとても凄いことだと思います。そして、それを継続できる佐々木さんの強さや活動力を感じました。

この記事は、リライズ・ニュースマガジン“美しい時代を創る人達”にも掲載されています。



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