見出し画像

書く仕事、何かありましたら。

 このページは「書く人」を探している方(版元、編集などの方々)に向けて書いた、自己紹介のような、履歴書のようなものです。せっかく「書く仕事」を頂きたいと思って書いているので、だらっと書いていきたいと思います。もし何かご依頼いただけるようであれば、こちら(珈琲 綴店主 髙橋)宛てにメールをお送りください。どうぞ宜しくお願い致します。


書くこと、について

 まず私にとって「書く=文章を作る」という行為ですが、「珈琲 綴」という店名の通り、日常的に文章は書いている人間です。自身の頭と心を整理整頓するために、美味しい珈琲を飲みながら全てを文字に起こしてノートに書き綴る(≒書き殴る)、という生き方をしてきました。そうしてなんとか生き長らえてきた人間なので、その心を店名に映しました。私と同じように、そういうものを必要としている人のために、そんな珈琲と空間を作りたい、と。
 私が日常的にSNS等で書く文は、「記録を残すこと」と「『珈琲 綴』を齟齬なく伝えること」を意識しています。
 前者は上記の通り、書くことによって自身の整理整頓をした上で、後になってその時の「自分」をなるべく克明に思い出すためです。私は後ろ向きな人間なので、過去はなるべく捨てたくないのです。自分のために書くのです。
 そして後者は、お客さんにお店のことをご理解頂くためです。
 当店は「会話や撮影、3名以上でのご利用、強い香水をご遠慮ください」などお客さんへの「お願い事」がいくつかあり、ご利用シーンが非常に限られるお店になります。立地も、何かのついでにふらっと寄るのではなく、当店を目指して来なければ辿り着けないような場所にあります。だからこそ、当店がなぜこのような営業スタイルを取っているのかをなるべく周知して「珈琲 綴」をご理解いただく努力をしなければならないとともに、このようなお店を求めていない方が誤っていらっしゃらないようにしなければならないとも思っています。これは店主である私のためでもあり、ご利用くださるお客さんのためでもあります。

 また私は店頭でもほとんど喋りません。私から雑談を投げかけることは、皆無といってもいいでしょう。積極的なコミュニケーションを図ろうとも図りたいとも思っておりませんので、SNS等で何も発信しなければ、本当にこの店主が何者なのか、何を考えているのか得体が知れません。得体の知れない無愛想な店主のお店で本当にお客さんが心から肩の力を抜いてリラックスできるのか。私ならば少し恐いので、せめてSNSでは「珈琲 綴」ではなく「珈琲 綴の店主」が、「店」ではなく「人」が滲んで見えるような文章を書きたいと思っています。

書く仕事、について

 私の本業は「珈琲屋」ですので、副業としてぽつりぽつりとやっていけたら理想的だなあと考えています。
 以下に記したこれまでの仕事は、大変ありがたいことに私が公に求めていないにも関わらずオファーをくださいました。しかしこれからはちゃんと「書く仕事、やらせていただきたいです」と門戸を開いていることを明示します。
 「書く」という作業は既に日常の中にあったので、いつか仕事になれば、とは思っていました。だからその部分を見てくださって、価値を見出してくださったことが本当にありがたく、また純粋に嬉しい。

 また正直な話をすると、収入源を増やせるものなら増やしたい。飲食業というのは水物なので、生きるためにそれが多いに越したことはありません。特に私のお店は癖が強いので、お客さんの間口をだいぶ狭めてしまっています。「売上のために営業スタイルを変える」ということは可能な限り、極力、したくありません。そのため他の収入源があるということは、金銭的にも精神的にもとても助かるのです。本業において妥協せず、やりたいようにやるために、その他でやれることがあるのならば尽くしたいと思います。
 とはいえ本業が何分手間暇のかかることをしてしまっているため、状況によってはせっかくながらお断りせざるをえない場合があること、何卒ご容赦いただきたく存じます。ご相談させてください。

書きたい(≒書ける)もの

 エッセイといわれるものしか書けません。エッセイといわれるもの、と書いたのは、専門的に「エッセイ」というものを学んだことがないからです。普段書いているものは、ジャンルでいえば「エッセイ」というものらしい、という認識です。書きたい、おそらく書けるのでは、と思うのは、自分の経験をもとに淡々と記録をするような文章です。
 百聞は一見に如かず。自身で経験することが何よりも大切だと思っていますが、逆にいえば自身が経験したこと以外は自分の言葉で書きたくないとも思います。この世のあらゆることにおいて正解はひとつではないけれど、自分が見て、味わって、感じたことならばきっと嘘ではない。書く仕事に限らないですが、嘘のない仕事をし続けたいです。

 ジャンルでいえば自分には何が書けるのか、と考えてみると、いくつかあげられます。生業にしている「珈琲」、学生時代に世界一周の一人旅もしていて今でも生きがいにしている「旅」、暮らし関連で「古民家(住居兼店舗)」や「鎌倉」などでしょうか。
 ただこの「書ける」というのはあくまで自身の狭く偏った見識に基づいたものに他なりません。間違いのない専門的、最新の知識を有しているかといえばおそらく否で、そこがあくまで「エッセイ」となってしまうのだろうと思います。
 またこの文章からもおそらく伝わってしまうかもしれませんが、淡々とした文章を書いていたいです。長々となってしまったとしても小難しい言葉も言い回しもせず、誰が読んでもするするっと頭に入っていく。誇張も、卑下もせず、なるべく事実を残していく。振り返ると歩いてきた足跡がただ淡々と残っていて、それを客観的に眺めているような文章を書いていきたいです。

書いたもの

・『ELEPHAS』 創刊号
クリエイティブチーム「koto works」発刊の「『美しい』を哲学する」を掲げたインディペンデントマガジン。創刊号のテーマ「生命の星」内、コラムとして妻(当該マガジンの編集・ライター担当)とともに「日日(にちにち)」を執筆させていただきました。初めての有償の書く仕事は、珈琲とは全く関係のない得意料理の「生姜焼き」についての雑記でした。

・『鬱の本』
点滅社刊行の「憂鬱な人に寄り添う本」をテーマにした84人の寄稿集。「鬱」と「本」にまつわる1000文字程度の短いエッセイ。私は「生きるぼくら」(原田マハさん著)を紹介させていただきました。上の『ELEPHAS』は編集担当に妻が参加していたのでそのご縁もあったのですが、こちらは全く接点が無い中で私のSNSで発信している文章をきっかけにお声がけくださり、それは大きな励みになりました。嬉しかったです。他に谷川俊太郎さん、島崎潤一郎さん、山崎ナオコーラさんなどが寄稿しています。

略歴

・立教大学文学部教育学科卒。もともとは学校の教師を視野に入れていましたが、教職を得るために必須の単位を落としてその道は断たれました。しかし今になって思いますが、おそらく人間的にとても向いていませんでした。
・(株)学研マーケティング(旧社名。学研グループ出版部門の営業担当会社)に就職。あらゆる物事の原点=きっかけとなる「知ること」を、本を届けることで貢献したい、と思っての就職でした。2年10ヶ月で退職した理由を無理やり一言でまとめるとすれば、自信の喪失です。
・十一房珈琲店(銀座)、珈琲トラム(恵比寿、移転前の現・珈琲屋うず)にアルバイト勤務。どちらも自家焙煎、ネルドリップ抽出のお店。ここで働いた経験があるからこそ、今があります。
・2021年に珈琲 綴(北鎌倉)を開業。

〈その他〉
・2011年に大学を休学して約4ヶ月で約20カ国を巡る世界一周の一人旅(バックパッカー)をしました。いわゆる「自分探し」というものでしょうか。変わりたくて旅に出ましたが、変わりませんでした。しかし自分を少し見つけられた、とても大切な経験でした。原体験。
・2024年1月から2月にかけて珈琲 綴を休業して、イタリアを北から南までツレと旅します。新婚旅行、という体裁をとっていますが、新婚でもなければ結婚後最初の旅行でもありません。このほうが周囲の方々に波風が立たないだろうと目論みました。今のところクレームは頂いておりません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?