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「井の中の蛙」でありたい

「井の中の蛙 大海を知らず」は、世間知らずで視野狭窄であることですが、これに続く文言があることをご存知でしょうか。

予め申し上げておくと、これには諸説あっていろいろなニュアンスの言葉が続きます。
中でも私が2004年の大河ドラマ「新撰組」の中で初めて知った言葉がこちら。

井の中の蛙 大海を知らず されど空の高さを知る

一説では新撰組局長の近藤勇が付け足した、とも言われています。

さて、この「されど空の高さを知る」が付け足されると、どういう意味になるのか。
ここからは私の勝手な解釈です。

井戸の中から空を見上げる

井戸の中の蛙は広い海を知りません。
生まれてからずっと暗くて狭い空間にいるので
それを世界の全てだと思っています。
そうでしょうか?
見上げれば青い空が見えるはず。
その空には雲が流れ、鳥が自由に飛んでいるのが見えるはず。
時折花が舞ったり、動物が覗き込んだりすることもあるかもしれません。
見上げているうちに、自分のいるこの暗くて狭い空間だけが
「世界の全て」ではないことを知りました。
いつかきっと蛙はこう思います。
「外はどんな世界なんだろう」
そして外の世界を見るために試行錯誤するでしょう。
壁をよじ登るかもしれないし
投げ込まれる桶に紛れ込もうとするかもしれない。
いずれにせよ上を見上げながら、そこまでの自分との距離を測るでしょう。
「あとどれくらい、どうすればあそこまで辿り着けるのか」

蛙の輝き

井戸の中の蛙は広い海そのものは知りません。
しかし空(出口=外の世界)の存在を知りました。
空を見上げ続けて、あそこまでどうすれば辿り着けるのか、ああでもないこうでもないと諦めずに足掻くようになりました。

つまり諺としての意味を私なりに解釈すると、「希望を描き諦めずに足掻くこと、自分のこと(現状)を知ることの大切さ」です。
この諺の世界観をイメージすると、この蛙がかっこよく輝いていると思ってしまいました。
この蛙のように、自分(現状)を知り、どこに向かい何を目指し、そのためにどうするのかを地味に泥臭く考えて実行できる人間でありたいです。

もともと蔑まれるような意味の諺から派生しているところも、私としては好きです。
「されど空の高さを知る」が追加されただけで、軽蔑の意から努力を讃える諺になりました。
これを考えた方のセンスに脱帽です。

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