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繋がる毎日で進化する

 こなす日々に少しずつ嫌気がさして毎日泣く夜、鏡を見て大丈夫大丈夫と笑った夜、無理に寝て突き刺すような朝日に目をつぶる。そんな日々が多かった21歳ラストスパート。今日変な気持ちで迎える誕生日が不安だった。
勝手にしんどくなって辛かった日々にお別れをして22歳を迎えよう。そんな自分に区切りをつけるnoteにしようと書き出した。


環境は贅沢に変化する


 うちの人生導かれたように出会いと環境と結果がいつもついてきて、幸せ者だと自分ではっきり胸を張って言えるくらいのものだった。
けどいつまでも導かれるものに頼り、どうにかなるとその先に期待をして生きていた。初めて、noteを書いた時もこんなことを書いた。

そりゃそう、
小中高大と行ける場所を選択してその環境の中で最大限自分が輝けるものに夢中になっていたから。その自分を見て応援してくれる人もその環境の中にいる人たちだったから、だいたいはいい方向に行った。
きっとしんどいこともあったけど、そんなことはたいていのことが美化されて今に繋がったと消化している。

 そして今だんだんと自分で選択して飛び込む場所が増えて、自分が求める人や憧れの人にたくさん出会うことができた。自分自身がこんな風に生きたい、なりたい、あんな言葉を使って空間を作りたいと思う人に出会った。
先日、
ここ2カ月くらいの間に出会った人と話して、
憧れている人になる必要はなくて、その人の魅力に感じるものにジブンイロをおとせるといいよね。そしたらオリジナルになるってそんなようなことを言われて少し考えた。
それから考えれば考えるほど自分に足りないものばかりが浮かんで、それを満たそうとまで行動できていない自分がいて、しまいにはジブンイロも見つからなかった。
そしてこんだけやりたいことがあるのに、人生の何か転機になるところに一歩踏み出せずに、怖がる自分がいたことが悔しくてしょうがなかった。わかっていながらも結局できないままだった。
だからいつの間にかこなすだけの日々の繰り返しになっていた。
デザインがやりたいからクリエイティブ中心に活動して、コーヒーがやりたかったから学びに行った。その環境では人並みより少しクリエイティブができるくらいになったし、どこにいってもベターにコーヒーが淹れられるようになった。
ただなぜ今自分がこれらをしているのか根本にある”作りたいカタチ”のために還元することが全くできていなかった。


なぜ


 わたしには大切な仲間たちがいる、数えきれないほどに。
家族に始まり、学校生活を彩ってくれたみんな、選択肢を与えてくれた人、周りが見えなくなった時にはっきり伝えてくれた心友、今の私のやりたいをつくってくれたバイト先の人、つーこ!って急に連絡してくれる兄ちゃん、止まることも知らずにがむしゃらに走ってきたファミリー、ワクワクを何時間でも語れる相棒、そして憧れの人。
みんなといると自分自身が信じられないくらい笑顔になるし、なんでかわからないけど進化系の最終段階みたいになる。超ハッピーになる。

無条件にハッピーでワクワクする自分。何かが出来るわけじゃないけど、みんながしてくれるように、うちがみんなのハッピーになる場所を作りたくて。そんな想いがずっとある。

地元の公園で何時間も何も食べず飲まず話した深夜、将来の話になるとみんな下を向いて、まだ始まってもいないのに始まることさえ拒んでいた。
その時、あー自分、今丸くなって座ってるみんなの見えない不安を変えることも人生を変えてやることもできないけど、深呼吸する場所つくりたいなって確信した。あの時のみんなの空間は忘れられないくらいうちの中で染み込んでいる。
電車に揺られて頑張るみんなが帰ってこれるような場所、ルーティーンのようにはじまる今日も朝起きて良かったて思える場所、また明日からがんばろうっておっきい深呼吸できる場所つくりたいなって強く思った。

その後結局腹減って地元のラーメン屋にいった笑

なぜはうちの心の中にあるみんななんだって何度振り返っても変わらない、わたしのモノ。


くよくよ卒業



noteを書いてたらここまで読んでくれた人と書いてきた自分が申し訳ないくらいにくだらない気がしてきた。
見たい景色はしっかり完成してて、ただまだ未完成すぎるだけでなんかよわっちくて泣いてばっかでめんどくさいからこの際、誕生日っていういい区切れ目に泣いちゃう理由にバイバイしようか。
泣く理由は全部自分。
・見えない未来が不安だから
・憧れと遠いところにいて足りないものばかりだから
・行動が伴ってないから
・認められない自分がいるから
・変なプライドで生きてるから
書き出してみたらこんなものばっかり。
正直あって当たり前の不安で、ぶつかっても倒せないなら、ちょちょいと見方を変えてみればいいだけだなって。


自分の可能性を自分で塞がない。自分のことを一番わかってて一番わからないのも自分だから、そんな自分に蓋をされたら困っちゃう。
誕生日がきてまた時間が過ぎてしまったと思うのが怖かった今日まで、みんなからのメッセージと目の前にある笑顔でうちは素直にハッピーで嬉しかった。幸せ者は変なプライドを捨てて胸張って幸せに生きないともったいないとそう感じた日だった。



こなす日々を卒業して、
繋がる毎日を生きる22歳。
思ったより22歳は未熟でした、小学16年生とみてまた1年ワクワクする毎日を歩みます。






いつもうちを笑顔にしてくれる、みんなありがとう。
太陽でも夜くらいは休んでね。
その言葉に救われました。
おやすみ、21歳:)

photo by Saki



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