泣いても泣かなくても

連絡が突然来た。
「ねこがもうすぐ死んじゃいそう」

絵文字も何もついていなかった。
すごく心配になる、ねこも、でも友達も。
小さい頃からよく家に遊びに行って遊んだ猫だった。
よく粗相をして怒られていたな、最近は全然顔を見ていなかった。

気づけばその猫ちゃんは15歳になっていた、私たちは24歳。
小学生の頃から知っていたよね。

猫ちゃんに対しての思い出を思い出す前に、私は友達が猫のことをだっこして抱きしめて、鼻を額にこすりつけて、しつこいくらいにんまんまやっていたことを思い出す。

電話口で友達は泣いていた。
猫に「ごめんね」と言っていた。

謝ることはない、寿命だよ。

別れはいつでもくる、頭では分かっていても、歳を重ねるたびにその日が近くなることがうっすらと現実味を帯びてきても、いざその輪郭が明確になろうとしたらその瞬間私も「ごめんね」という言葉が出てくる気がした。

もっとできることがあった、
あの時見逃さなければ、
甘えたがっていたあの時に撫でてあげればよかった、
そんな思いと目の前の小さな息をするあったかい生き物との間で、ごめんを呟くんだと思う。

でも私は言いたい、
親友である君はたくさんの愛情をその子に注いだよ。
15年間もの間。

喧嘩したかな、きつい口調で叱ったかな、だけど、撫でたよね、抱き上げたよね、優しい声をかけたよね。

きっと、きっと幸せだよ。

あとどのくらい一緒にいられるかはわからないね、でもこれまでの15年を思い出しながら残った少しの時間を大切に過ごしたいね。

息を荒くして、物陰に隠れて、ぐったりしている様子をしているのは、もうすぐお別れの時だって知らせてくれようとしているのかもしれない。

「あと少しの間、くっついていて」
「あともう少しでお別れだね」
「今までありがとう」
って全身で伝えてくれているのかもしれない。

守ろう、親友が悲しみを超えられるように。
親友の親友が遠くに行ってしまうなら、私が近くにいよう。

泣きたいな、同じ気持ちで泣けたらいいな。
でも泣けなくてもいいな、その方が頼れるでしょう。

いずれにせよ、近くに行こう。
今日の朝1番の電車で。


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