知りたいことを全て知ることができたら

人生の中で自分の知りたいことを全て知ることは出来るんだろうか。
死にたいという感情がたまにどこからともなく湧いてくるのは何故なのか。

未だ分からないけれど恋人がいた時はその感情はどこかに行っていたと思う。
毎日が勿体ないような、一緒に過ごす時間が永遠に続いてほしいと思うような、そんな日々を過ごした記憶が頭のどこかに残っている。
気持ちが強すぎて相手との間に生まれた問題さえ見えなくなって冷静になれなくなり身を滅ぼしてしまっても、美しく思い出せる記憶の断片が僅かにある。
どんなに別れが辛かったとしても辛かったことは上手く思い出せなくなって、愛を感じて嬉しかった瞬間だけが鮮明に思い出される。
傷口に軟膏を塗ってもらったこと、好きなお茶を覚えていてくれていたこと、一緒にオムライスを作ったこと、放っておけないと言われたこと。

そんな過去の思い出が何かのきっかけで鮮明に蘇り、自分を責める気持ちと過去に向き合おうとする気持ちが葛藤する。
人を傷つけることも傷つけられることも辛いし二度としたくないと思うのに、心には穴が空いたままになっている。

空洞になってそこを風が通り抜ける。
その後はその隙間にごちゃごちゃしたものを詰め込んでいく。
ビーズみたいなものを。
色んな色のビーズを流し込んでいく。
でもどこからかこぼれていて満たすことはできない。
というか、ビーズで満たしたくないと思う自分すらいる。
あたたかくて、文字通り胸をあたためるような液体で心を満たしたい。
冷えきっていきたくない。
冷えきったまま生きたくない。
どう頑張っても「独りで生きる」ということは難しい。心がある限り。

独りでも楽しい時は確実に有ったのに、人に愛されることも自分が愛することも知ってしまうと愛がない状態に耐えられなくなる。
これは呪いのようなものだね。
「心なんて無くなってしまえばいいのに」
どうせまた辛くなるのに。

それなのにこのまま独りで生きるなら、なるべく早くこの世ともおさらばしたいと思ってしまうのは何故。
「僕に言ってくれればその悩む時間が短くなるかもしれないでしょ」って言ってくれたあの人の言葉。
そうだよ、今私はまた生きる意味とかが分からなくなって独りで考えているよ。
そんな時に話を聞いてほしかった。叶わないけれど。
過去に言われた言葉とすら会話をしてしまう日々だ。

人は皆俳優だ、と思う。
嘘をつくのが上手い。
平気なふりをするのがとっても上手い。
本当はこんなに寂しいのに「今はひとりでいたい」とか平気で言えてしまう。
「独りで生きていけそうだね」という言葉にヘラヘラすることも簡単にできてしまう。
仕事を懸命にやることも、家で元気にすることも平気でできる。
役作りから抜けてしまうほんの短い時間だけが耐え難く長く辛いものだということを立ち直る度に忘れながら生き長らえることが出来てしまう。

ただ私は愛を知ることができてよかったと思う。
それは変わらない。

これからの人生では何を学ぶことが出来るんだろうか。
自分が知りたいことを全部知るまではとりあえず生きていようと思う。
そして生きたいと思う人をちゃんと生かすことができるまでは、とりあえず、生きていようと思う。

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