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主人公じゃなくていいからある物語の登場人物になりたい

昔から、新学期の自己紹介の時間が好きだった。特に初対面の人間の自己紹介よりもよく知ったクラスメイトの自己紹介の方が好きだ。だから3年生辺りになって別にみんな知ってるから自己紹介なくてよくね〜?みたいな空気が流れて自己紹介がないととても悲しい気持ちになったりした。

自分がどうやら人よりも自己紹介の時間が好きなのだと気がついたのは高校生の頃だった。そういえば昔から新学期の自己紹介の時間を楽しみにしていたし他にここまで自己紹介の時間にこだわりを持つ人間の話も聞いたことがない。どうやら少しだけ珍しい趣味なのかもしれないな、と18年ほど歳を重ねてようやく気がついた。

私は他の人よりも身近な人間を物語のキャラクターのように捉えているのだと思う。その人の性格、容姿、服装、持ち物、趣味嗜好、放つ言葉、得意不得意などを包括したその人が纏う雰囲気を感じるのが好きだ。わざわざ細かく分析したり考えたりすることまではしないにしろ、その人が放つオーラを掴むのが楽しかった。その人自体に興味があるというよりもその人の持つキャラクター性に興味があるというのだろうか。だからキャラクター達が端的に自分のキャラクター性を説明する自己紹介の場は手っ取り早く多くの人のキャラクター性を手にできるため、楽しかったのだろうと思う。小学生高学年あたりで流行ったプロフ帳なんかも同じ理由で好んでいて、中3になって友人数人にいきなり書いて!と頼んで渡したこともある。

親しい人間になればなるほど奥にある思想や細かい趣味嗜好がわかっていくため解像度が上がり、キャラクターとして考えるのに面白みが増す。私が今でもよく話す親しい友人は思想に一辺倒な偏りがある人間が多くて面白い。今までの人生経験を通して得た考えや意識が強い色を纏って彼女達の中に存在している。それらを捉えた上で思想について議論するのが好きだ。

そしてこうやってさまざま人をキャラクターとして捉えたくなる理由は恐らく自分がアニメやドラマの登場人物、キャラクターでありたいと願うからなのだろうと思う。人をキャラクターとして捉えるのが好きだと語ってきたが、実際の人間は作り話の登場人物のようにわかりやすくは無いし一貫してもいないしその場の感情で動くし趣味嗜好もたゆまず変化する。性格だって一言では表せないはずである。16タイプ診断が流行る世の中ではあっても16分割で説明できるほど人間はわかりやすくないし人それぞれなはずである。そんなことはわかっている。わかっていても、ソシャゲのHPにあるキャラクター紹介のように生身の人間をキャラクターとして捉えたくなってしまうのだ。これは自分がそのキャラクターたちの1人でありたいからなのだ。

アニメやドラマや小説やゲーム、更には芸能人などもそこに含まれるだろう、それらに存在するキャラクターひとりひとりには現実世界には無い強い魅力がある。魅力があるからこそ人を惹きつける。「推し」文化こそ人がキャラクターに強く惹かれる確固たる証拠だろう。一筋縄では行かないような、ぐるぐる渦巻く現実世界の人間には無い尊さがキャラクターには存在する。芸能人の類は、彼ら自身も現実世界の人間ではあるのだが、テレビのスクリーンを隔てることによって色濃い特徴のみをこちらに提示することができるし、私たちは提示されたもののみをキャラクターとして認識する。そして私はそんなキャラクター達に強く惹かれていくにつれ自分にもそんなにキャラクター性が欲しいと願うようになってしまったわけである。

ここまで記してきたキャラクター性は言い換えるとアイデンティティということになる。前々から自分のことを個性のない人間であると考えてきた私にとってアイデンティティは何よりも手にしたいもののひとつだった。だから周りの人がこぞってすることには同調せず逆張りをしてしまう。他の人とは違うキャラクターとして自分を認識していたい。その通りに動くことでわかりやすいアイデンティティを手にしたいと思ってしまうのだ。

もしもこのクラスをアニメとして別世界に放送するとして主人公は誰になるんだろうか、とか、その中で私はどんなキャラクターになるんだろうか、を度々考えることがあった。そしてその先にあるものは、キャラクターとしての私を1番好きなキャラクターとしてあげてくれる存在はいるのだろうかという疑問であった。キャラクターになることで、誰かに自分を、私が周りの人にそうしたように、キャラクターとして捉えてもらいたい。そして好きになってもらいたいと思うのが私の愚かで正直な願いだ。

別に主人公じゃなくてもいい。モブじゃなくて、そこそこセリフがあって、何話かある中で私にスポットライトが当たる物語が1話あって、その後の本筋の物語にも少し関わるような登場人物でありたい。そして誰かが私のキャラクターを、私自身を気に入って欲しい。それが私の密かな心からの願望だ。浅はかだと思う。正しくは無いと思う。それでも私は自分でも分かりやすく捉えられる自分が欲しいのだ。

自分を捉えられた時その先で自分を少し好きになれるような気がして


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