Tsuyoshi Kaseda

舞台脚本家・演出家 1993年より2009年までN.Yで活動。アポロシアターをはじめ数…

Tsuyoshi Kaseda

舞台脚本家・演出家 1993年より2009年までN.Yで活動。アポロシアターをはじめ数々の劇場で公演。NYタイムズ誌などから絶賛される。カンヌ国際映画祭をはじめ、世界27カ国で公演。 現在は来年2024年3月にシアターカイで行われる「bricks」舞台の準備中

最近の記事

れぺぜん

れぺぜん 若き頃‥それこそ30年以上前か・・ 勢いだけでアメリカに行って渡米3日後からオーディション受けまくった。 踊れるちっさいアジア人というのが面白かったのか、 分不相応にダンスカンパニーに受かってしまうこともあり、 当時の僕は有頂天になったこともあった。 なんだチョロいじゃんとか思っていた。 ただとにかくアメリカはジャンルの垣根がなく、僕の苦手なバレエ系ダンス、(モダンやジャス)からサルサやアフリカンなどの民族系などオールジャンルに対応しなければならなかったし、ダン

    • BRICKS終演

      BRICKSは実話をもとに書いた。 義和団事件の発端となるある事件に焦点を当ててみた。 中学の社会の授業で習ったこの義和団という名前がこの年になっても離れなかった。 先生が「功夫映画はある種、この義和団を鎮魂するような作りになっているものも多い」 という言葉がこの年になってもずっと脳裏のどこかに離れずにいた。 清朝末期の時代、当時武術は内に秘めた力、催眠術的なものも多かったという。 マウルは趙三多という人物をもとに書いた。   そしてアリアは趙三多に儀式を教えた

      • 舞台「BRICKS」

        明けましておめでとうございます。 さて舞台の日にちが決定いたしました。 3月7日より13日シアターX(カイ)にて 全12回公演でございます。🎆 まだリハも始まっていないのに、一人盛り上がったり、焦りまくったりと幸せな日々を送っております。 とはいえ一体どんなお話をやるのか、そういえばあらすじも何も書いておりませんでした。 お話はこんな感じです。 広島弁でお送りします。なぜかはまた次回👌 中世から近代に変わるときのお話じゃけ こんなの国じゃねえ 武闘家がブリかっけかった

        • 芝居ワークショップ講師

          2024年3月7日から13日までの間シアターX(カイ)で公演する事になった「BRICKS」 出演者も続々集まり、ここから最終選考となる。 そこで4日間、劇場を使わせて頂き、ワークショップ+オーディションを開催中。 3時間という短い時間で何を教えれるか。 アクションの見せ方、ダンスのかっこよい踊り方、そして芝居の型・・ やりながら自分であらためて気づいたのは、芸術を教えるということの難しさであった。 特に芝居に関しては、何がどう違うのか、何をどうしたらよくなるのか、などほとんど

          自己プロデュースせ舞台を敢行.6

          台本が…やっと形になってきた。 半年間以上書き換え続け、どこをどう変えても同じに思えてきたのでひとまずここでペンを置くことに。 今回は架空の世界のアクションもの台本である。 台本には バシッとかビシッとか、うぐえ!とか、げふっ・・とかキサマアア!とか、コラアア!!が満載となっている。 これだけ書くと、僕がバシッをドスッに変えたりキサマアア!をおんどりゃああ!に書き換えるのに1年かけたのかと思われるかもしれない。‥それはあながち間違いではない。。 複雑に編み込んだ伏線は

          自己プロデュースせ舞台を敢行.6

          自己プロデュースで舞台を敢行.5

          写真は若き日の私である。酔拳の構えである。自分がプレイヤーであった日が懐かしい。 そして現在は3月の舞台の稽古に入る前に、 簡単な芝居やアクション、ダンスなどを出演者に無料で教えるwsを開いている。 そこでカンフーテイストのアクションを作ってみた。 こちらはまだ試作であり、出演者に世界感を知ってもらうためのワークショップである。 カンフーアクションは、普通のアクションよりも難易度が高い。 二人は中国武術の元日本代表選手である。技のキレ、正確さ、振り付けへの理解度など、日

          自己プロデュースで舞台を敢行.5

          自己プロデュースで舞台公演を敢行.4

          2000年代のニューヨークにて、とある有名サパークラブでパフォーマンスすることが決まった。オーディションを受けたその日の夜から自分の出番が組まれ、ほとんど何も聞かされず僕と相棒のビートボクサーは、深夜1時のパフォーマンス舞台に上がる事となった。演目は5分だったものを急遽2分半に短縮というか新しく最初から作り直した。プロデューサーなのか監督なのかわからないが、彼からの指示は、ビートボクサーは舞台袖ではなく舞台の下。僕は刀を振りながら踊り、途中でやられて倒れ、合図がなったら起き上

          自己プロデュースで舞台公演を敢行.4

          自己プロデュースで舞台公演を敢行!3

          ではまず加世田さんのやりたい事をおっしゃってください。とやさしくも僕の真をとらえようとする眼光で、劇場の芸術監督・プロデューサーがおっしゃられた。僕は少し戸惑ってしまった。 この日のためにどれだけ勉強してきたか。劇場で公演をする。それには莫大な金が要る。個人として舞台をやるのは無理な話である。それをどうにかやらせてくれないか、と交渉しに来ているわけである。 あつかましいにもほどがある。 なので僕が舞台をやる事によって劇場側に金ではない何かを提示する。資本主義社会において

          自己プロデュースで舞台公演を敢行!3

          自己プロデュースで舞台公演を敢行.2

          舞台公演に向け、昼はプロデュース脳、夜は演出脳と分けて作業中 とはいえ偉そうにプロデュースと言うが、数字とにらめっこするだけで、 散歩に出かけては、はあ‥一億落ちてねーかな、とでかい一人言を言って帰るダメPぶり。 昨夜まとめた演出プランと脚本をもとに、スタッフ様等々、経費を全て換算すると膨大な額になり、PCの前でいちおくううう!と叫ぶ。断っておくが別に過剰にスタッフ様が取っているわけでもなく、皆様まともな金額を提示してくださっている。そこをさらになんとか無理を言って安く

          自己プロデュースで舞台公演を敢行.2

          自己プロデュースで舞台公演を敢行!1

          来年3月に舞台を決行すると決め奔走しています。いつもは会社で動いたり、制作はお任せしていた私ですが、キャスティングから交渉の全てを担いあくせくと奮闘しています。 で。。舞台やったらどうなるの? と冷たくあしらわれる事もあるが、是非やってくださいと力を貸してくださる方もいる。 ありがとう。今はこの言葉を言うことしかできない。だがきっと心に残る作品をお届けします。 舞台はどうやっても無理ゲーである。 生々しい話をすると普通にかかった経費をチケット代でなんとかしようなんて

          自己プロデュースで舞台公演を敢行!1