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Watcher #14

例えばおれは、デートに水族館へは行っても、動物園を選ぶことはない。

動物園には苦い思い出がある。

だけど、その思い出が動物園を遠ざけるほどの苦いものかと言えば、それは大袈裟だと思う。

「動物園より水族館をえらぶ」ただそういうタイプの人間なだけだ。

おれが。


子供のころ、家族で動物園へ一度だけ行った。

いろんな動物を見て回るうちに、おれはテンションがあがっていった。

そして何故だか「くさい、くさい」と連発していた。

男児特有の、悪ノリだ。

そのことがおやじの癇にさわったのか「じゃあ帰るか」と本気のトーンで言われたのだ。

おやじは、段階を踏まない。

いきなり最終通告なのだ。

そういう性格だった。

おれにしたら、悪気があったのではなくて、ついついしていたことだったので、不意打ちだった。

親父がそんな性格なもんだから、普段おれとおふくろは、おやじの機嫌をそこねないようにしていた。

しかし、テンションがあがっていたからか、おれはいつもの勘が鈍っていたのだ。

おれは「帰りたくないです」と言ったあと、象に見入っているていで、おやじに背を向けて泣くのを我慢していた。 

おやじにキレられて勘を取り戻していた。

おやじは、おれが泣くことも癇にさわるだろうと、さとったのだ。

おやじからしたら、おれが悪いのに、おれが泣いたら被害者ぶっていることになる。

それは気にくわないだろう、と。

まあ、子供の頃のはそんな理屈だてて把握していた訳ではない。

けれどおれは、まさに勘としてそれがわかっていた。

今のおやじはその時とくらべると、ずいぶん丸くなった。

おふくろとおれは一緒になって、おやじの顔色を読んでいた。

それは、おれとおふくろの絆のひとつになっていた。

おやじが丸くなって、今ではおふくろも楽そうだ。

なんでこんな話になったかって、それはいま見ている“あれ”のせいだ。

今まで見た“あれ”のなかで、一番大きな“あれ”だ。

あの日、見ているふりで焦点があってなく、ぼやけた象···

住宅地のなかで象のような“あれ”を見て、あのぼやけた象が動物園から逃げ出したように思えた。

さっき語った思い出が、動物園を遠ざける理由になっていると認められないのは、反発なのだろう。

きっと意地になっているのだ。

それでも、もし結婚して子供ができたら、動物園へ行くのだろうなと、なんとなく思っている。

 
 
 
 
 

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