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Watcher #12

SNSをやっている。

匿名でだ。 

SNSでつながっている、リアルな知りあいは、ほんの数人しかいない。

あとは、SNS上でつながった関係だ。

おれは“あれ”についての投稿もしている。

なにか手がかりを得るためだった。

SNSで“あれ”について、おれは「幻覚だ」という言い方をしている。

そうすると、よく言われるのが「アル中」だ。

おかげで、アルコール依存の人のつらさへの想像力がたくましくなった。

もうひとつは「ウソつけ」だ。

おれには、そんな幻覚も見えてないと言いたいらしい。

幻覚が見えると言って気を引いて、承認欲求を充たそうとしていると···

悪いが、彼らに人の思いを推し量る想像力があるとは思えない。

あるのならば、もしそう思っても口にしないだろうからだ。

ならば、推し量る以外にどんな方法でその結論にたどり着いたのか。

自分が「幻覚が見える」とSNSに書き込むとしたら、動機は承認欲求を充たすためだろうと類推したのだと思う。

投影というやつだ。

つまり彼らは、自分の承認欲求を自白しているのだ。

そして、ふつふつとわくその承認欲求を解消してくれるモノを渇望していることも。

そう思うと、胸がぎゅっとしめつけられる···

なんて、心のなかで煽って溜飲を下げる。

ウソつき呼ばわりされたら、もっと傷つくものだと思っていた。

心のなかで煽る程度で済んでしまう。

自分の性格の悪さと、小心を自覚させられるが···

けれど「SNSで知らない他人を中傷する人物よりはマシだ」と相対的に思わしてくれるサンプルが相手だから、自己嫌悪までいたらしてくれない。
 
 

おれは損をする覚悟で“あれ”のことを書いたのだ。

霊の見える人が、周りの人に言っても信じてもらえない経験をするうちに黙ってしまうなんてのは、ありふれたエピソードだ。

だけどおれは、SNSで“あれ”について書くことで、損することより、得をしていると感じる。

まさかこうなるとは、思いもしなかった。

はじめ、おれの“あれ”の体験談はネットに氾濫する不思議系の創作話のなかに埋もれていった。

けれど、徐々に他の話とは一線を画していった。

わりと多くの人が信じてくれたのだ。

「幻覚を見た」は「霊を見た」なんかとくらべると、信じてもらえるハードルは格段に低いのだろうけど。

“そういう話”が好きな人たちが集まってきた。

“あれ”が見えることを、特殊能力のようにもてはやす人も出てきた。

そして、いつの間にか、そんな小さなコミュニティーの猿山のボス的なポジションを得ていた。

そんなポジションに敏感な女性というのもいる。

そのなかに、かわいい女の子がいた。

自撮りをよく上げていた。

その娘は、よくコメントをしてくれた。

ひしひしとシグナリングを感じる。

コメントは、「私も見たい」から「私も見えるかな」になり、「見に行きたい」へ変わっていった。

“あれ”は観光名所じゃないぞ。

おれの下心は「観光名所じゃないぞ」という理性的なツッコミを軽く無視をして、その娘にDMを送らせた。

そして無茶とわかりつつ、その娘と“あれ”を見に行く計画を実行させた。

おれは「“あれ”が見えそうなところ」と装い、蛍を見に行った。

蛍を見ながらいいムードになればいけるだろうと。

蛍の穴場スポット調べた。

山中の、水が湧いてできた池へ行ったのだ。

ついたら、ほかに人の気配はなく、おれたちだけだった。

そして蛍もいなかった。

けれど、“あれ”がいたのだ。

おれは思わず「いた」と言っていた。


おれは“あれ”が霊である可能性も考えたことがある。

そして、SNSで霊が見える人を探した。

自分が“あれ”を見えていることは、“本当に見えている人”を探すことにプラスに働くだろうと自信をもって。

そして“それらしい人”とあって話を聞いた。

中年男性だった。

そして、今の彼女とおれのように見に行ったのだ。

“あれ”ではなく霊を。

何日かかかったが、彼がまさに今のおれのように「いた」と言ったが、おれには見えなかった。

そして、おれは“あれ”は霊ではないと結論づけた。

彼の話からして、霊と“あれ”の傾向は違う。

霊の見た目は、やはり人なのだ。

“あれ”に人の面影を見ることはできるが、人とは言い難い。

けれど、今おれがみている“あれ”はとっても、見た目が霊的なのだ。

だけど“あれ”なのだ。

うまく説明できないけれど、“あれ”の感じしかしないのだ。

霊的ビジュアルの“あれ”に面くらっていたら、彼女が言った。

「ほんとだっ」と。

おれは、彼女なら“やるな”、と思った。

彼女とおれの目線のさきはずれていた。

彼女は見えているものの説明をしだした。

“あれ”が見えているのなら「霊」というワードは避けられないと思ったが、彼女の口からはでてこない。

事前におれが「霊」とは違うと言っているから当然だ。

彼女は興奮ぎみにしゃべりつづけていたが全然頭に入ってこない。

おれはおれの見えている“あれ”のことを考えていた。

ベタな幽霊そのままだ。

青白く発光し体が透けている。

しかし「肺」がある。

肺だけが透けてみえるのだ。

頭が切断されたようにあいていて、そこから気管がのぞいてる。

頭の上には巨大なシャボン玉がとんでいた。

シャボン玉の内側に目玉がついていて、幽霊を見てる。

幽霊は足が水につかっていた。

そんで、幽霊のワンピースのスカートには膜がはりついていて、それが水面に浮いているのだ。

膜には血管が走っていて、ところどころ泡立っていた。



幽霊なのに息があるのかよ。

幽霊じゃなくて“あれ”なんだけど···

霊体に膜がくっつくのか?

いまさら、こいつら”あれ”に物理的整合性を求めてもしかたないけれど···


彼女は勝手に「見えた」と盛り上がってくれて、帰りその勢いでホテルへいけた。

そのあと、何回かあってホテルへ行った。

地雷感が半端ないので、泥沼化するまえに関係をたった。

その後も、ちょろっと連絡はきたが無視をした。

日和見女は少しぐらい痛い目をみた方がいいんだ。

おれは友人の仇をとった、気分になった。

友人の苦痛も自分のしたことの正当化の材料にしてしまう。

ここで自己嫌悪にやっといたった。

 
 
 
 
 
 
 


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