好きな本や音楽を、他人に教えることについて
読書や音楽が好きだというと、決まって「どんな本読むの?」だとか「どんな曲が好きなの?」だとか高確率で聞かれる。
だけど私はこのテの展開があまり得意ではない。
もちろん相手は話を続けようとして質問してくれているわけだから、こんなことを思うなら自分で話題振れよという話なのだが、ちょっとだけ聞いてほしい。
まず、これは本にも歌にも言えることなのだが、私はその一冊、その一曲で、「自分」がある程度決められてしまうような感覚に陥る。
例えば、大半の人たちが知っているような流行ものを答えれば、相手との話は続くかもしれないが、それは自分の好きなものであるとは限らないし、その時点で私は相手の中で大半の人たちと同類の人間、つまり「大勢」となる。
かといって本当に好きなものを話すのは自分を曝け出しているような、自分が考えていることを知られてしまうような、なんとも恥ずかしい気持ちにもなるし、それだけを判断基準にして自分のセンスを問われているようにも感じられるし、ズシズシとのしかかる重いプレッシャー。
第一、私が好きになるものは賛否両論あるものが多く、全否定されてしまった時にはもう…その人のことも嫌いになってしまいそうで怖い。(実際そういう経験もあった……)
他人に好きな本や歌を勧められ、試してみたりすることもあるが、鑑賞中に彼らが思い浮かび、心から楽しめない。
彼らはどんなことを考えたんだろうとか、どうしてこれを試そうと思ったんだろうとか、会話することは絶対に楽しいし興味もある。
しかし、鑑賞中に出てきてしまわれれば、自分の世界で味わうということができない。
つまり、私は誰かが勧めてくれたものをみるとき、これはあの子が勧めてくれた、というフィルターがかかった上でものと対話することになってしまう。
勿論いい作品であったと感じることが多いのだが、あー自分でみつけたかったなーと感じてしまうのである。
こんな感じで考えすぎの人間なので、とても生きづらい…!
(でも考えることは好きだから、この生きづらさが心地よい時もある…難しい……)
結論、私にとっての良策は「同じものに触れたことがあり、自分の意見が固まっている人との対話」であるなあ……と感じた今日であったのだった。終。
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