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人生に乾杯 43(遺書を残そう)

妻と相談の結果、新年の習いで今年はお互いに遺書を残そうとなった。遺書といっても「今家族に残せるものを記す」という意図による。生命保険、預金、株式、積み立てなど。あらゆるものを記録し、「もしも」の時に残された家族が見て分かる様に、ということだ。こうしてブログを書いている最中にも、保険はアレ、預金はアチコチと頭には描かれているのだが、はて、いつになったら手に付くのやら。

遺書で思い出すのは、2019年にシンガポールの自宅ベッドの上で書いたものだ(冒頭写真はその一部)。当時、壁に背をもたれて足をベッドに投げ出し、ラップトップを文字通り膝に置いて夜な夜な書いた。時々ベッドの右側を振り向いては「あーここにカミさんが寝てたな」と思った。その前の年には同じ時期、同じ都内のクリニックで人間ドックを受けて妻の乳がんが判明、家族で日本の旅程を全てキャンセルして急いで帰ってきた。が、2019年は家族には日本に残ってもらった。自分には「家族崩壊」「一家離散」の危機が迫っていた。少なくともそう思っていた。だからその時書いた遺書も、たかだかA4で3枚だが文章は悲劇的だ。

中身はというと、以前も本ブログで紹介した柔道家藤井裕子さん(ブラジル在住)の「強い意志が運を連れてくる」という話、シンガポールの主治医から「Cure-able!」と言われたことなどが綴られている。夫婦でがんにかかったことから家族の収益構造を変えた方がいいかもしれないと仄めかし、シミュレーションまでしていた。今読むと、現実がその通りになっていることに正直驚く。あの頃からそんなことを考えていたんだ。

今日はあまり筆が進まないので、まだ体が十二分に動いた頃の写真を一つ。2015年10月に京都へ出張に行った際に撮ったもの。

京都・衣笠山地蔵院(自撮)

(続く)